01.prologue



始めは一瞬の煌めきだった。それを捕らえるのはそう難しいことではなかった。
やがて一つの流れとし、織りあげ、かたちと成すまで数年の時間を要した。
さらに膨大な時間と巨額な費用も。
研究を存続させるために、皮肉にも開発者はその研究を手放さざるをええなかった。
しかし、いつの日か彼はそれを取り戻すつもりだった。そのために何が必要か、彼には分かっていた

mission 01



「クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐、君に特別な任務がある」
「部長、またろくでもない実験じゃないでしょうね。」
朝一番で部長に呼び出された少佐は、椅子にふんぞり返っている部長に、鋭い一瞥をくれた。
「…いや、今回は実験と言っても…」いきなり図星を指された部長は一瞬たじろいだ。
「俺は勘弁してください。」きびすを返して部屋を出ようとする少佐の背中越しに、部長が切迫した声をかけた。
「いや、待ってくれ!!今回こそ君のような精神力を持った人物が必要なんだ。
…もう我々には時間があまり残っていないんだ」
「その言い方からすると、バカな実験と言うわけではなさそうですな。詳しい話を伺いましょうか。」
「うむ…そこにかけてくれ。これから話す事は極秘事項だ。これを見て欲しい。」
そういうと部長は、自分の前にあるパソコンに、不器用な手つきで何かを打ち込んだ。どうやらどこかのサイトのアドレスらしい。
いくつか認証画面にパスワードを打ち込み(あの部長がよくもまあパスワードを覚えたもんだ)、やがて小さな画面が開いた。
「これは?」
「我々が唯一見ることができる“窓”だ。」
画面は、よくあるオンラインゲームのようだった。人の視線より上、木の上から撮っているような位置からの眺めは、けして広いとは言えない。
時たま人影が映る。軍服姿だ。だがどこの軍か少佐には認識できなかった。
「あそこを守っているのはいわば多国籍軍だ。」
「守るって…?これはどこなんですか?」
「どこ…というのは正確ではない。」
「はあ?」ここまで煮えきらない部長の態度は、そうあるものではない。
いつもは少佐の知らないことを説明するときの部長は、それは露骨に楽しそうだからだ。
「実は儂にもうまく説明できんのだ。これから君に行ってもらおう。その後また説明する。行った先で、君には特別なナビゲーターを用意しておいた。なに、会えばすぐ解る」そう言うなり部長は電話をとった。
「ああ…私だ。今から彼を連れていく。用意をしていてくれ。」
部長にしてはすばやい対応に半ば面食らいながら、少佐は部屋を出ていく部長に従った。

駐車場では既に車が待機していた。
見たことのない制服の男が、車から出てきた。
「すまんがこの先、儂は行くことができんのでな。あとはマイヤー氏に任せている。」
「彼がその、ナビゲーターですか?」
「いや、“中”に入ってからのことだよ」
そう言うなり部長は、少佐の返事も待たず、そそくさと戻っていった。
見知らぬ男と取り残された少佐は、男を観察した。
身長は180に少し足りないといったところで、やせ形。よく手入れされた爪と高級そうな靴。眼鏡をかけているほかは印象の薄い顔立ちだ。制服は軍服のようだが、どうみても軍人に見えない。
「はじめまして。エーベルバッハ少佐。私は“H計画”主任研究員のマイヤーです。
「“H計画”?」その名称で少佐には甘い匂いと共に、以前の忌まわしい実験の記憶が甦ってきた。
「安心してください。今回はあなたに相応しい任務です。」どうやらあの実験の事は聞き及んでいるらしい。
「車の中で少し説明させてください。——あなたには申し訳ないが、目隠しをさせてもらいます。」
そう言うとマイヤーと名乗る男は、ポケットから黒い布を取り出した。
「場所は機密扱いと言うことか。だがいきなり連れ出されて目隠しとは、俺はそこまで君を信用して良いものかわからんぞ」
「ご不満はもっともです。ですが目隠し以外、銃の携帯はかまいませんし、なにより縛るわけではない。あなたの意志で目隠しを取ることは可能です。——ただし外された時点で、あなたはこの計画から外されます。」

「分かった。」この時点ではこいつを信用するしかなさそうだ。少佐は相手が背後に回り、目隠しをするのを黙って許していた。
車のドアがあく音がし、手探りで車に乗り込む。
車は滑るように発進した。

2〜30分ほど車を走らせた時点で、やっとマイヤーが口を開いた。
「少佐はコンピューターのオンライン・ゲームをご存じでしょうか?」
「ああ、ウルティマとか…部下の中でもはっまってる奴がいたな」
「例えばそれを軍事作戦のシュミレーションに使うことは可能だと思いますか?」
意外な質問に少佐は思わず(見えないながら)相手の方を向いた。
「フライトシュミレーターや確率の計算とは違うんだ。実際の作戦には色々な条件がある。それに参加する人員の体力や経験・技術などを考えるとそれをどうデータに置き換える?訓練をオンラインでやったからといって、兵隊の技術が上がるもんか。」
「ごもっともですね」マイヤーの声は穏やかだ。
「それにハッキングされる可能性もある。計画が事前にもれる確率は、実地訓練よりもあるんじゃないか?」
「だが、独立したシステムで現在最も信用度の高いセキュリティに守られ、回線も外界とは接触がなく、物理的攻撃から守られているとしたら?」
「一体なんのためにだ?」
「新しい王国を築くため…」
「はあ?」少佐は思わず目隠しに手をやろうとしてしまい、慌てて自分を押さえた。
「冗談です。」マイヤーの声は相変わらず冷静だ。
(こいつ、真面目そうに見えて実はロレンスとご同輩か?)少佐のこの任務に対する興味が、不安へと変わっていった。
「あなたはご存じでしょう。私たちの感情や思考とは、脳内でニューロンが運ぶ微少な電気信号だと言うことは?筋肉を動かす指令も、心臓を動かすのもそうだ」
「まさかそれを再現することができるなんて、言ってないだろうな?」
そんな技術が今あるとは思えない。少佐はだんだん今隣で運転している男の、正気を疑いたくなった。
「もちろんすべて解明されたらすばらしいですが、今はまだ…」
そうだろう。「いいかげん何を俺にさせたいのか、教えてくれないか?」
少佐の言葉を無視して、マイヤーは話を続けた。
「——しかしある程度の計測が可能な装置は開発できました。そこで被験者が、実体験に近い感覚を持つことが可能な、ヴァーチャル・リアリティ空間を創り出すことが出来たのです。被験者の脳波から、彼の行動をコンピューターの中で再現できるのです。」
「何だって?」
「我々の用意した架空の場所で、被験者は自分の目で見ているように感じるし、感覚もある。いやあるように感じさせる事が出来る」
「信じられない」
「これから先は、あなたが経験した後でお話ししましょう。その方が早い」
車は高速路からはずれ、舗装の悪い道に入ったらしい、細かな振動が伝わる。ざわざわという木々の梢も聞こえてくる。
どうやら到着したようだ。車はいったん止まり門の開く音と共にまた滑り出した。
音が反響している。トンネルに入ったのか。
やがて車が止まり、マイヤーが少佐の目隠しを外した。
「お疲れさまです。到着しました」
「ここは?」
「どことは言えませんが、我々の実験施設です。私に付いてきてください」
長い廊下を歩かされ、少佐はやがていくつもあるドアの一つから小さな部屋に入った。
壁には一面のモニターがあり、その一角に端末がある。
部屋の中央には歯医者にいくとよくあるような椅子がある。天井からは何本ものコードがぶら下がり、椅子の肘掛けには被験者を拘束するためとおぼしきベルトがある。
少佐は嫌な予感に襲われた。
「おい、まさか…俺に…」
「当然。そのために来ていただいたんですよ。大丈夫。最初はほんの10分ほどにしておきます。」
数人の白衣を着た男達が現れ、少佐の上着を取り、何かを注射した。
「ま、待て、もっと詳しく…」抵抗するまもなく、少佐は意識を失った。

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02 project inception


mission 2【始動】


鳥の声?
少佐が目を覚ましたのは、森の中だった。
日差しの加減からすると午後三時といったとこだろう。なぜ俺はこんな所に?
「大丈夫かい?」
男が自分に向かってかがみ込んでいる。逆光で顔がよく見えない…しかし…
この髪型には、嫌な予感が…。
「少佐?」
「お、お前は!!!」
差し出される手を振り払い、少佐は思わず木の陰に隠れた。
「な、何しに来た!」
「ひどいな、君のリクエストに応えて、この姿でやってきているのに」
「リクエスト?」その時、少佐のにはあの部長のにやにや笑いの意味が分かった。
会えば解るとはこう言うことか。
「おまえ…ナビゲーターか?」
「そう。私は君の知っている“彼”ではないよ。私はプログラムされた人工知能—V.I.(ヴァーチャル・アイデンティティ)だ」
よくよく見れば顔は確かに「あいつ」だが、俺を見る目つきが違う。あいつが俺を見る目はもっとなれなれしく、いやらしい目つきだ。こいつは違う。
そうと解ればこれはただのナビゲーターとして認識してやる。少佐は心の中で決意した。たしかこの場所は、部長の部屋で見たモニターの場所だ。ここで動揺している姿を、今部長が見ているとも限らない。俺はあくまで冷静に、任務を遂行するぞ。
「落ち着いたかい?」
「ああ。」
「じゃあ説明を始めよう。ここが仮想現実空間だと言うことは解っているね?
 君の本体は今、実験室の中にいる。君はこの世界では単なるデータでしかない。」
「ああ。しかし、こんなリアルだとは思わなかった。」
少佐は手のひらを太陽にかざしてみた。暖かい。そしてかすかに吹く風の感覚もある。
「話を続けるよ。この世界でも人間は人間の力以上の事は出来ない。空は飛べないし、水の中での呼吸もできない。全く現実と同じだ。さらに、この世界で肉体に損傷をうけると、なぜか本体の方も同じ症状になる。例えば手を失えば、現実の君の手も動かなくなる。へたをすると壊死してしまった例もある。」
「なるほど…と、いうことはここで死ぬと…」
「そう。現実の君の活動も停止する。これは何度実験しても避けられなかった。
 人間がここまで精神に肉体が支配されているとは、不思議だね」
伯爵ならばこんな事は言わない。少佐は改めて目の前にいる「それ」がV.I.なんだという実感がわいてきた。
「ああ。こいつはゲームなんかじゃないってことだな。リセットは効かない。
 とすると、ここから抜け出すのは、どうするんだ?」
「ここから抜け出すには、接触ポイントに行く必要がある。君が今立っている木の下がそうだ」
そういいながら伯爵は地図を取り出してそこに描かれた3つの点を示した。
「ここが現在地。帰還ポイントでは最大だ。ここから半径10メートル以内ならば、
 現実世界へ戻ることが出来る。あとのひとつは、ここから5キロ離れた町の中にある。
 そして…あとひとつは…必要なら君が探し出さなきゃならないんだろうな」
地図に描かれた三つ目の点を示しながら、少佐は聞いた。
「探し出すって事は、こいつは移動しているんだな。それを探すのがおれの任務なのか?」
「そうだ。この世界の創造主--暗号名を“ヒプノス”という男が、部下の数名とともに
 接触ポイントごと姿を消した。」
ヒプノス…ギリシャ神話の眠りの神の名前だ。「催眠術」の語源でもある。ロマンチストのにおいを感じて、少佐は身震いをした。
「で、そいつは姿をくらまして、何をしようとしているんだ」
「それはわからない。しかしあるはずの場所がなくなったり、突然街ができたりしたよ。ヒプノス捜索のため派遣されてきた、部隊一個小隊までが消失した。発見された時には全員極度のストレス状態で、記憶もなかった」
「おい、なのに俺はひとりでそいつを捜せと?」
「そうだ。」
「誰だか知らんが、ずいぶんと俺を過大評価してくれるじゃないか。」
しかしデータが少なすぎる。少佐は準備に必要な装備、資料について頭をめぐらせた。
「とにかく、一度俺を元の世界に戻してくれ。それだけのやつを相手にするとなると、色々調べたいことがある」
「それは無理なんじゃないか?」
「え?」まるで天気の話のように何気なく話す伯爵に、少佐に言葉を失った。
「“戻してくれ”って君は言ったよね。それって帰還コードを知らないって事だろ」
「帰還コード??」
「ここから出るには、向こうから呼び出してもらうか、覚醒するための暗示をあらかじめ与えられているから、決められた暗号を言うんだ。音声認識システムだ」
「俺は暗号なんぞ聞いて無いぞ」
「じゃあ、呼び出してくれるのを待つしかないね」
伯爵の顔をしたナビゲーターは、にっこりと笑った。
「おい…」たしかほんの10分と言っていたな、あのマイヤーとか言う男は。
「大丈夫、任務が終わればすぐに戻れるよ、向こうからは強制帰還信号を送ることができるからね。」そう言ってナビゲーターは何事もなかったように、説明を続けた。
こうなると少佐には選択肢がない。しかし…。
「おい…ひとつだけ貴様に聞きたいことがある」
そういうと少佐は、無邪気にふりむく伯爵の胸ぐらをつかみ引き寄せた。
「お前は…一体誰の見方だ?」
「な、何を?」
「お前はV.I.だろ?ということはヒプノスはお前の創造主だ。
 俺に味方すると言うことは、それに逆らうことになるんじゃないか?」
伯爵は少佐の手を引き剥がそうと、必死にもがくが少佐はびくともしない。
「ま、待ってくれ私はただ、君を補佐しろと言う命令しか受けてないんだ。
 君たちと違って、親を慕う人間の感情に支配されているとは、考えないでくれよ」
どのみちこんな事で、話すやつはいないだろう。少佐はあきらめて手を離した。
伯爵はのどを押さえ、苦しそうに息をしている。こいつは本当に苦しんでいるんだろうか?
くそっ、全くわからないことだらけだぜ。
少佐は今、この世界で初めて自分以外の人間(?)に触れた。伯爵本人をよく覚えていない(むしろ忘れたい)せいで差は全くわからないが、この感触はまさしく「人間」そのものだ。髪の毛の質感や、引き寄せた時に感じた相手の体温から息づかいまで。
「おい、一体V.I.と人間は見分けがつくのか?」
「人間はこの世界に来る時に、首か肩、もしくは手首にバーコードをつける決まりだ。」
少佐は自分の体を探ってみた。少なくとも自分から見える場所には無い。…とすると
「おい…」
「なんだい?」
「お…俺の見えないところにバーコードはあるか…見て…くれ」思わず声がうわずる。
「いいよ」
伯爵はまったく少佐の様子に気づかずに、少佐のシャツをひっぱりのぞき込んだ。
しっかりしろ…こいつは「あいつ」ではない。総毛立ちそうになるのを必死に押さえて待った。
伯爵といえば、まるで機械の点検でもするように、少佐の周辺を回っては、あちこちを点検する。
「無いみたいだね。もっとも私の見ていない部分は、いくつか残っているけど…」
「もういい!」
少佐は伯爵からできるだけ離れて、あわてて身なりを整えた。
「俺にバーコードがないって事は、どうなるんだ」
「君はV.I.と見なされるだろうね。だれもあの鉄のクラウスだとは思わない。
 この状況は君にとって有利かもしれないね。」
「くそ、なにもかも計算ずくってか?」
「その代わり、生命の安全基準は人間より低い。十分に気をつけてくれよ」
部長…帰ったら覚えてろよ…。

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03 The realm of enchantment-1

mission 3 【幻惑の王国-1】

hypnos01.jpg

「ここからあと約3キロ行ったところに、街がある」
伯爵について森の中を歩いていると、前方が明るく開けている。どうやら道に出たらしい。
「おい、伯爵…」
結局この顔を見ると、ナビゲーターというよりこの呼び方になってしまう。
「よかったらドリアンと呼んでもいいんだよ。少なくとも私はここでは伯爵ではないからね」
そう言われても、ファーストネームで呼ぶ方が気持ちが悪い。少佐は伯爵の言葉を無視して続けた。
「伯爵、これから行く街は、何と呼ばれている?人口はどのくらいなんだ?」
「私たちはただ“シティ”と呼んでいるよ。いまのところ唯一の街だからね。
 V.I.は千人近くいるはずだけれど、人間は30人ってとこかな。
 ヒプノスの軍も20名いないと思うよ」
「それだけの人数で、この町を掌握しているのか?」
「数が問題じゃない。彼の力が問題さ」
「そいつを仮に捕まえるとする。そのあとは?」
ここで捕まえても、肝心の本体は現実世界のどこかにいるわけだ。どこかに閉じこめたところで、本当の意味で捕縛したことにならない。未だ少佐は自分がここに送り込まれた意味を、計りかねていた。
「彼から帰還コードを聞き出す。
 彼の知っているコードは、いわばマスター・キーだ。
 それさえ手に入れれば、この世界を掌握したも同然だよ」
「簡単に言いやがる。そんな風にほいほいと言うもんか」
「その時は…殺すしかないね」
伯爵の、あまりに伯爵ならぬ言いように少佐は驚いた。
「驚くことはないだろう?そもそも君の任務は、混乱を収めることだ。
 一番簡単な方法を示しただけだよ」伯爵は全く悪びれる様子もなく言った。
「お前らV.I.はそんな簡単に人の生死を考えているのか?」
「そもそも生まれたことを覚えてないんだ。
 死ぬってことがどんなことか分からないんだ。」
「“シティ”にいるお前のお仲間も、そうなのか?」
「たぶんね。でも人間と関わって、色々学んでいくうちに、変わっていくやつもいるよ。
 私が初めてあった人間が君だ、少佐。私は君から学びたい」
そう言って伯爵は少佐の目を真っ正面から見つめた。まるで子供のような純粋な好奇心…。
「それがお前が俺を案内する理由か」
「そう…かもしれない」

その後伯爵は、無言で歩き続けた。
やがて道は砂利道から、舗装された道路へとかわり、目の前に検問のようなものが現れた。
検問の向こうは、ただの平原が広がっている。
伯爵は、何も気にする様子無く歩いていく。少佐は慌てて伯爵を引き留めた。
「検問だ、大丈夫なのか」
「これはただの入り口のマーカーみたいなもんだよ。
 大丈夫。私たちは止められないよ。
 …それより…暫く並んで歩こう。」
伯爵はそう言うと、少佐の腕をつかみ検問に向かって歩き出した。
入り口って言ったって、この先に街なんて見えないじゃないか?少佐は混乱しながらも、伯爵に従って歩く。
検問は簡単な門のような作りだ。両側に軍服を着た男二人が立っているが、少佐達を気にする様子はない。
少佐は門をくぐった時、軽いめまいを覚えた。少佐の腕をとる伯爵が、ほんの少し握る力を強めたように感じた。

——そして…
いきなり目の前に、ビル街が開けた。

思わず声を上げそうになる少佐の腕を、伯爵がさらに強く握り、無言で足早に通り過ぎた。
「な、なんだ、今のは!?」
少し離れた路地を曲がって、少佐は伯爵の腕をふりほどいた。
「ここが“シティ”だ。前は検問の外からも街の様子が見えたんだけど、
 ヒプノスがこの街を支配して以来、こうなったんだよ。
 ここで君に騒がれたら、まずいことになっていたよ」
「ならば先に言え!」
パニックになりそうだ。
ここが仮想現実だと言うことは、分かっていたつもりだが、こうも現実離れしたことに直面するとは…。
「君ならば対処できると思ってたんだ」
真っ直ぐに少佐を見つめる伯爵を見て、少佐はだんだんと落ち着きを取り戻してきた。
こいつは本当にガキと同じなんだ。おかげで腹が据わったぜ。
役に立つのか、立たないのか、分からないところはやっぱり「伯爵」だ。
「ともかく、どこか落ち着ける場所を探そう」
「それなら大丈夫。この先のパブの2階を借りてあるよ。
 モニタもあるから、外部との連絡もできるはずだ」
「助かった。」
「これでも案内人だからね。」
そう言って、伯爵は歩き始めた。
何度か路地を曲がり、広場のような場所に出た。角にパブらしき建物がある。
少佐は頭の中で、検問からここまでの道のりを頭にたたき込んだ。

パブの中に入ろうとした時、少佐はひとりの男とすれ違った。
男は少佐を気にすることもなく、通り過ぎていった。
「今の男…」何か引っかかる。
「どうしたんだい、少佐?まさか知り合いって訳じゃないよね?」
「今のは…人間か?」
「ああ。たぶんね。最近よく来るようになったけど、名前は分からないし、どっちの見方かも分からないよ」
「まさか…」確か…あの顔は…??
伯爵が無言で少佐の様子をうかがっている。
「確かではないんだが、数年前にあの男と似たやつを知っていた」
「じゃあ、彼も軍人で、何かの作戦でここに来ているんじゃ…え?知っていた?」
「そうだ。もし彼が俺の知っているやつならば、彼は去年戦死したはずだ」

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04 The search for Major Eberbach-1

mission 4 【探索-1】

少佐のいない情報部の朝は、穏やかに過ぎていった。 昨日、部長に呼ばれて以来、Aは少佐の姿を見ていない。 部長はGには、心配するなといった旨を伝えたらしい。 (なぜ部長は伝言をわざわざGに頼むのか、Aはあえて追求はしたことはない。) こんな時には追って連絡があるまで、何も聞かないことにしている。

「みんな、少佐がいないからってだれるなよ!」
少佐がいないだけで、どうしてみんなここまで怠惰な雰囲気になるんだろう…。
留守を守るAとしては、少佐の偉大さが分かると共に、わずか25名を束ねられない自分を少し情けなく感じた。
「まあ、Aそんなに目くじらたてるなよ。どうせ少佐は直ぐ戻るんだろ、ちょっとくらいいいじゃないか」背後からAの背中をたたくのはCだ。
「今日は早く帰れそうだよね。ビールでも飲んで帰らないか」すかさずEがAの行く手を阻む。
まず僕から懐柔して、さぼろうって言うんだな。そんな見え見えの手に乗るまいとは思うが、確かに今日はルーチン・ワークがあるのみ。ここのところ帰りが早かったので、少しくらい羽を伸ばしても、妻は許してくれるだろう。
「そうだね…もし今日少佐から連絡がなければ、つきあうよ」
「お、やったね。じゃあいつもの店に6時集合」C、E、といつのまにか混ざっていたDがさっさと段取りを決めていく。こういった時のチームワークはいいんだよね。

何事もなく一日が過ぎようとしていた午後、GがAのもとにやってきた。
「部長がお呼びよ」
「わかった。さっき君が呼ばれたのは、まさかこの伝言を聞くためじゃないよね?」
「そうよ。毎日一度は私の顔を見たいんだって。まあそのくらいだったらいいじゃない」
美しいって罪ね、などとつぶやきながら席に戻っていくGの後ろ姿を見ながら、Aはため息をついた。
AにはどうしてもGは「化粧をした男」と言う認識しかいない。
これが部長にとって、目の保養になるということが、理解ができない。
顔の作りで言えば、Zのほうがよっぽど綺麗だと思う。

「失礼します」
Aがオフィスに入ると、部長は今までにない深刻な顔をしている。
「昨日少佐は、特別任務である場所に向かった」
「はい。何かまた実験だと言ってましたよね。滞在が延びそうなんですか?」
この間の「実験」から帰ってきた時は、みんなに手作りのケーキを配り、
情報部を恐怖のどん底に陥れた少佐だが、今度は何をやっているんだろう?
「実は先程、先方から連絡が入った。“少佐の到着はいつになるか”と」
のんびりと話を聞いていたAは、部長の言葉に我に返った。
「え、だって、昨日少佐を迎えに来た人は?」
「研究所が寄こした迎えは、屋外駐車場で待機していたらしい。
 儂は確かに地下駐車場と聞いて、少佐をそこに向かわせたんだが…」
「じゃあ少佐は一体何処に?」
「最悪の事態を考えねばならないぞ」
最悪の事態?まさか?
「前回同じ任務で、ひとり派遣したんだが…
 やはり姿を消してしまい、発見された時、ヒプノスの部隊の一員となっていた」
「なぜ?拉致されたと言われれば納得がいきますが、敵方に回るというのは…」
誘拐される者の中には、犯人に共感してしまうという例がある。
または買収と言うこともあるかもしれない。
しかし単独行動をすることのできる諜報員が、そう簡単に裏切るだろうか?
「…洗脳された…とか」一番考えたくない原因をAはあえて口に出した。
「一人や二人ならば、裏切ったと考えて良いだろう。
 しかし過去5名もの将校が、ヒプノス側についた。こうなると洗脳という可能性は高いだろう。
 しかし、仮にも訓練を受けた者たちだ。それぞれが経験豊富で、共通の弱みなどはないはずなんだが…。」
「少佐なんか特に、弱みも精神的にも問題ないと思います」
「そう。だから彼を選んだんだが…こうなると、それが災いしたかもしれない」
洗脳以上に悪いこと?
「まさか…」
「そう、彼があくまでも敵方の協力を拒んだ場合、最悪命を奪われる可能性がある」
「そんな!」ほんの数日で戻ると信じていた少佐が、こんな緊急事態に追い込まれるとは。
Aは思わず部長の机に身を乗り出して言った。
「私を…私を少佐の捜索に出してください!」

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05 The realm of enchantment-2

mission 5 【幻惑の王国-2】

伯爵が少佐のために用意した部屋は、パブの2階ということから、騒音を覚悟していた。
しかし、思いの外静かで、清潔だった。
ベッドはスチールパイプ製だが、シーツは真っ白だ。
伯爵にしちゃまともな部屋じゃないか。本物の「あいつ」なら俺に天蓋付きベッドを用意しかねないだろうな。
他には木製のテーブルとイス、そしてワードローブがあるだけだ。テーブルの上にはノートパソコンがある。
「ここでパソコンがあるということは、通信ができるのか?」よりによってマックだぜ…。
少佐は慣れない手つきでアップルのPowerBook G4を立ち上げながら、伯爵に聞いた。
「この世界でもネットは使えるのか?」しかもブラウザはSafariだ。嫌がらせとしか思えない。
「この世界の中限定でね」
やっぱりそうか、落胆してベッドに腰掛ける少佐のかわりに、伯爵が端末に向かった。
「それでもデータベースは使える。もちろん情報やアクセス権は限定されるけどね」
「シティの地図はあるか?」
「あるよ」伯爵はキーをたたき、画面に地図を表示させた。
「この赤丸が私たちのいるところだ。ほぼシティの中心だ」
少佐は伯爵の肩越しにディスプレイを見つめた。
「もっと引きで見られるか?」
少しずつ縮尺を変えて表示させると、シティの大体の形が現れた。コの字の形をしている。
「ここの部分はなんだ?」
少佐はへこんだ部分を指さして聞いた。
「そこはシテイの外で、さっき私たちが来たところと同じように森になってるよ。
 なだらかな丘になっていて、頂上に建物があるらしい。もちろん警戒は厳重で
 近づくことはできない。たぶんここにヒプノスの本拠地があるんだと思うよ。」
「ずいぶん分かりやすいな。俺はどこかのビルの一室にでも隠れているかと思ったよ」
まずアジトを突き止めるのにどのくらいかかるかを心配していた少佐は、少し拍子抜けた気分になった。
「ここで彼に逆らう者は殆どいないからね。隠れる必要はないんだよ。」
「殆ど?」
「そう。ここはヒプノスが自分の理想の基に作り上げた都市だ。
 彼の定める規律に従って生きれば、平穏な暮らしが与えられるけれど、
 人間からすれば、せっかくの仮想現実なんだからもっと自由が欲しいと思う者たちもいる
 仮想だと分かっているのに、それでも羽目を外したがるなんて、人間って変だね」
無邪気に首を傾げる伯爵を見て、少佐は密かにため息をつく。
(こいつには酔って憂さを晴らす、なんてことは理解できないだろうな)
「お前達V.I.は感じないのか?」
「何をだい?」
「ヒプノスの規律をはずれてでも、やりたいことはないのか、もっと自由になりたいとかだ」
「この世界では彼は絶対だ。彼に従っていけば、理想の世界がいつかきっと作れると
 僕らは信じているんだ。ヒプノスの考え方にほぼ全員のV.I.が賛同しているよ」
真っ直ぐに少佐を見据える伯爵の目に、一点の曇りもない。
しかし少佐はその意味するところの恐ろしさを知っている。ドイツ人ならば分かるはずだ。
「いいか、伯爵。一点だけを見据える世界に、未来はない。人は常に多様なものだ。
 それをひとつにまとめ上げると言うことは、一見理想の実現のように思うだろう。
 だが、ほんの一握りすら疑問をもてない様に、統制されていると言うことだ。
 そんなのを“理想”と思うな。」
ユートピアの語源はギリシャ語のou+topos、“あり得ざる場所”だ。
ギリシャの神の名を語る者が、偽物の理想郷を創る…お笑いだぜ。
「お前はお前が何をしたいか、何をすべきなのかを自分自身で決めていいんだぜ」
「ここで君を裏切ることになっても?」
「そうだ。お前が望むなら。そして同じくヒプノスを裏切ることになってもだ」
「君は僕に何をさせたいんだ…」
「お前のすべき事だよ」
当惑して立ちつくす伯爵を残したまま、少佐は部屋を出て下のパブに入った。
何だろう、この苛立ちは。本物の伯爵は、嫌になるくらい自由だ。己の欲望に忠実で、奔放だ。そんな生き方を俺は決して認めたくない。だが、この伯爵を見て感じるのは何だ?
しっかりしろ、ここであいつを味方につけておいて、ヒプノスの野郎をとっつかまえる手助けをさせなくちゃならないはずだ。ここであいつに変な知恵を付けてどうする…。
パブでビールを1パイント注文する。ぐいっとあおると冷えた液体が喉を潤す…しかし一向に酔いが巡る気配はない。
「おい兄さん、ここは初めてかい?
 だめだよ、しょっぱなからとばしたって、酔えるわきゃねえよ。
 この世界で酔っぱらうにはこつがいるんだ」
いきなり見知らぬ男に背中をたたかれ、少佐は思わずビールをこぼしそうになった。
「教えてやるからよぅ、ビールを奢ってくんねえか?」
少佐がうるさいと口に出そうとしながら振り向くと、目の前には先程の「死んだはず」の男が立っていた。
「お前…」向こうも少佐に気がついたらしい。気まずい沈黙の時間が流れた。
「え、エーベルバッハ少佐?」
少佐は踵を返して逃げようとする男の腕を捕まえ、近くのソファーに投げ出す。
「久しぶりだな。俺を覚えていてくれたようだな。確かお前、クラークだったよな。
 せっかくだ。少し話をしようじゃないか」
「昔話ならちったぁしてもいいぜ…」あきらめたようにクラークはソファに深く座り直した。
「話せ」
「その前に聞かせてくれよ、お前…死人か?それとも死神か?」
「?」
「お前、もしかして自分が死んじまった事分かってねえんじゃないか?」
クラークの言う意味が理解できず、少佐は黙って彼を見つめたまま立ちつくした。

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06 The search for Major Eberbach-2

mission 6 【探査-2】

「僕も少佐のいる所へ行って、無事を確かめさせてください!」
普段激高する事のないAの勢いに押され、部長は思わずたじろいだ
「お、落ち着いてくれ。君があちらへ行って、少佐を見つけだせるとは
 限らんだろう。むしろ君自身に危険が及ぶ可能性の方が高い。
 よく考えるんだ」
「でも、このまま少佐を見捨てるなんて事はできません!」
Aはあくまでも食い下がる気だ。
しばらくふたりのにらみ合いが続いた。
やがて部長は諦めたように溜息を付くと、なにやら引き出しを探った。
「焦る気持ちは分かるが、君が行く気ならそれなりの準備をしたまえ。」
そう言うと部長はAに「極秘」とスタンプの押されたファイルを手渡した。
「本来なら君に見せるものではないんだが、少佐が不在の今、君に協力してもらうしかない
 2時間でこのファイルを読んで、戻ってきたまえ。状況が把握できた後に話し合おう」
話は終わりだと言わんばかりに部長は電話を取り、番号を押した。
受話器を片手に、Aに早く出て行けともう片方の手をドアに向かって振った。
「ああ、儂だ。またひとり送って欲しい。今度はしくじるなよ…」

自分の席では極秘ファイルは開けない。Aは駐車場に行き、自分の車の中でファイルを読み始めた。
ファイルはまるでゲームの攻略本のようだった。最初はこの計画の立案者の説明や、おおまかなシステムの説明だったが、残りの大半はその世界で行動する際のマニュアルだった。
それによると、あちらでは自分の意識と行動力に微妙な差が出るらしい。
夢の中で走るとき、まるで水の中に入っているようにしか動けないのがそれだ。
被験者は先ず自分の動きをコントロールすることから始まる。できれば一日に10分程度から始め、1週間でその世界に慣れるというのが理想だ。希に意志の強いものが、 初日からこの世界と同等の動きを出来るものもいるそうだ。もしかしたら少佐もこの中に入っているんだろうか。それとも少佐はいきなり夢の世界にいって、本来の自分の力を出せないでいるのだろうか。
最初は自分が中に入って少佐を見つけだし、一緒に帰ってくればいい、そんな甘いことを考えていた。
しかし肝心の少佐の本体が行方不明だ。会う事は出来ても、彼が自分の本体の場所を知らない限り、帰還しても助けることは出来ない。また、ポイント毎に帰還コードは違うから、同時に戻ることは出来ない。
自分は役立たずだ。このまま少佐がどうなっているのか、ただ待つしかできないのか…。

僕に出来ることは…。まずやるべきことは2つだ。情報収集とそれを少佐に伝えること。
Aは手帳を取り出し、いくつかの項目を書き出した。
・ヒプノスという男の正体、経歴を探り出す。
・彼が反乱を起こした動機を突き止める。
・ヒプノスの行動を探り、第3の接触ポイントの候補を絞り出す。
・少佐を捜しだし、以上の情報を伝え、指示を仰ぐ。
書き出す分には簡単だ。
あの世界をコントロールしているコンピューターは、何十ものファイアーウォールに守られて、外部からの侵入は出来ない。接触ポイントをコントロールする端末は、機能限定されている。もしここから侵入を試みれば、特異点へのアクセスが出来なくなる可能性が高い。だとすればホストコンピュータを探しだし、そのネットワーク上から入るしかない。
どこにホストコンピューターがあるのか…。
情報の規模から考えて、コンピューターは並の容量と処理能力では、あの世界をコントロールできない。以前スーパーコンピューターと言われるマシンを見たことがある。ほんの数年前だが、今はそれより格段に性能は上がり、サイズは小さくなっているだろう。施設はそんなに大きくないかも知れない…。
そうだ…!!
Aは車を飛び降り、情報部へと戻った。
「おい、A!どこへ行ってたんだ?そろそろ出ようかって話してたとこなんだ」
脳天気にCがやってくるのをつかまえ、口早に指示を出す。
「緊急事態だ。この数カ月でいい、指示するエリアで異常に電力を使う施設をリストアップしてくれ。
 特に昨年から急激に電力の供給が増えた施設、又は自家発電を導入した施設のリストアップだ」
こんな時、誰も文句を言わず、すぐさま行動に移すのは少佐のお陰だな。Aの指示で全員が自分の席に戻り、作業を始めた。
スーパーコンピューターを見学したとき、驚いたのはその電力の消費量だった。一度でも止まってしまうと、再起動までに数時間、へたをすると復旧に1日以上かかることもあるという。実験の規模から考えて、どんな施設にカムフラージュされても、電力だけはごまかせない。
施設の探索はみんなに任せ、こちらはヒプノスの正体を捜そう。
さっそく情報部の情報分析室に向かう。Aの友人でもある研究員が待っていた。
「やあ、A君待っていたよ。週末の時間外労働…高く付くぜ」
「すまない、こんど奢るよ」
軽口を叩きながらも彼はすばやくキーボードを叩き、いくつかの画面を表示させた。
Aが目で追うのもやっとのすばやいスピードで、スクロールされていく画面を読みとっていく。
「ヒプノス…こいつは天才か?ものすごい数の研究レポートが彼の名前で出てるぜ。
 情報処理から生体学、神経伝達システムのシュミレーション…
 こいつは人間そのものを、コンピューターで再構築してるみたいだ。
 それだけじゃない、軍事作戦にも参謀として参加している。ひとりで数人分の働きをしてるぞ。」
「彼の本名や出生についてはどうだ?」
「それについては…やられた。抹消済みだ」
「やっぱり。仕方がない、ヒプノスの過去5年間の行動を、時系列にそってリストにしてくれ。
 僕はまた戻ってくるから、あとはお願いするよ」
そういうとAは部長のオフィスへと向かった。2時間はあまりに短すぎる。

「失礼します」Aがオフィスにはいると、部長と見慣れぬ白衣姿の男がいた。
「覚悟は良いな。 A君。君は訓練期間無しに行くんだ。
 無理はするな。今回は君があの世界へ慣れるために行くんだ。
 その間こちらは情報収集しておく。今回は6時間で強制帰還させるからそのつもりでいてくれ」
「今回の接触ポイントは街の南西部の一角にあるものを使います」
白衣の男がAにクリップボードを渡しながら言った。
クリップボードには誓約書と地図が挟まれている。
「街中はヒプノスの監視下におかれているので、危険性は高いのですが、
 今回はここを使えとの指示が出ています。時間優先と言うことです。
 あなたがもっと安全な所を希望するようでしたら、安全な特異点に設定し直します。
 私としては安全策をお薦めします」
「いえ、構いません。時間が無いんです」Aはきっぱりと言った。
「解りました。それでは案内しましょう」
白衣の男について、Aは情報部を後にした。
どんなことがあっても、絶対に諦めない。必ず少佐を見つけだしてやる。
そう強く心で念じながら。

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07 The search for Major Eberbach-3

mission 7 【探査-3】

Aは病院の様な一室で、体中をコードに繋がれながら、横たわっていた。
服の中にむりやりコードを押し込めている。これならいっそ脱いでいた方がいいんじゃないかと思い、医師とおぼしき人にその疑問をぶつけてみた。
「あなたは今回が初めてのダイブだと聞きました。
 慣れない人は、自分が最後にした格好で、向こうに出るんです。」
「つまり…裸で?」
「そうなりたくはないでしょう?」
「はあ…」
「分かっていると思いますが、何事も意識しすぎないように。
 平常心ですよ」
「いままでに何か失敗をした例があるんですか?」
何度も念を押されるので、Aはだんだん不安になってきた。
「いえ、失敗というわけではありませんが…」と、白衣の男は言い淀んだ。
「その…ちょっとした趣味が出てしまったんでしょうね。
 あちらに現れた時に、ちょっと変わった格好をなさっていた例が…」
趣味の変わった格好?…Aは頭を抱えた。
「大丈夫ですよ、それ以来接触ポイントには予備の着替えと装備一式を常に置いておく様になりました」
「ええ…」何が大丈夫かは分からないが、深くは追求するまい。
Aはため息をつくと目を閉じて力を抜いた。
先程投入された安定剤が効いてきたか、ふわふわしたような気持ちだ。
ゴーグルを被せられ、光の点滅を見ているうちに、だんだんと意識が遠のいていった。


目が覚めた時、Aはホテルのような一室にいた。のろのろと起きあがる。大丈夫だ、普通に動ける。
立ち上がるとまずバスルームに行き、自分がおかしな格好をしていないことを確かめる。
今のところ何ら変わったことはない様だ。
部屋の中のテーブルには、制服(念のためにと用意されていた)の他に、携帯電話とPDAが1台置いてあった。起動させると中には「シティガイド——仮想世界の歩き方」というマニュアルが入っていた。
このPDAは 端末として簡易特異点の機能をつけたと説明されている。まだ実験段階で、充分な検証が成されていない。できる限り使わないようにと言われている。(そこまで言われると使いたくても使えないだろう、普通…)Aはため息をつくとPDAと携帯をポケットに入れた。
街の地図は大体頭に入れてある。表向きの任務として、このシティの点検と警備要因の民間人として派遣されていることになっているらしい。ひとまずはシティ内の作戦本部へ出頭するよう指示された。
作戦本部とは名ばかり、表通りにあるレストランにAは入っていった。

レストランの中は少人数ながらも、人間達が数人ひとつのテーブルに集まっていた。
一人がAの姿を認め、近寄ってきた。
AはPDAを取り出し、その男に渡した。その間二人の間には一言の会話もない。
起動された画面に男はパスワードを入れると、任命書というタイトルの書類が表示された。
そこで初めて相手の男は緊張を解き、笑顔で片手を差し出した。
「結構。よろしく…A…さん?」
部内では気にしたことはなかったが、改めて外側の人に自己紹介をするとやはり違和感がある。
そういえばボーナムさんは、何も気にせず僕のことをAさんと呼んでくれてるけど、
それはイギリス人だからかな。(彼は僕をミスター・アーと呼ぶ。ミスター・エーでなく)
「もしよろしければ、ここではアレクシスと呼んでください」そう言いながらAも握手に応えた。
Aはこんな時のために、いくつかAで始まる名前を常に考えてある。
(ギリシャ語で「救助者」の意味だ。この名前の通りの役割ができるといいんだけど…)
「それではよろしく、アレクシスさん。
 私はヴァルターです。この基地の統括兼エンジニアです」
「失礼ですが、軍人ではないのですか?」
「ええ。この街中では軍関係の施設は、危険です。
 これまでにいくつかの軍関係の施設が、爆破や倒壊されてます。
 ここは民間の研究所なので、今のところは事なきを得てますが、
 ヒプノスの敵と見なされれば、どうなるか分かりません」
ヴァルターはそう言うと、神経質そうにめがねを直して続けた。
「ですから、あなたが問題を起こすと、この施設の存続そのものに
 影響が出ることを心得て、行動してください。
 いいですか、くれぐれも目立つ行動は避けてください」
そう釘をさされ、Aは黙ってうなずいた。

暫くヴァルターと打ち合わせをしたあと、
「今回は焦らずこの環境に慣れるために、少し街を歩いてみてはどうか」と言われ、
Aは店を出た。
今回は6時間という短い滞在だ。人間の流れを観察し、どこに集まるかを見よう。
既に数時間が経過してしまっている。街全体は歩いて回っても数時間で見て回れる規模だが、
怪しまれないためにも、ゆっくりと目立たぬように歩いて行かねばならない。
そこでAは気がついた。街を歩く人々は真っ直ぐ前を向き、わき目もふらずに歩いている。
公園のベンチに座る老人やカップルも、視線を真っ直ぐにしたまま微動だにしない。
まさにそこの風景に必要だからと配置された、“住人を演じて”いるようだ。
整然とした世界に、時たま異質な動きを目にする。流れに逆らうような動きをしている者は本物の人間だろう。
自分もこの世界ではこのような異質な動きをしているのかと、改めて心配になる。
ただ歩いているだけでも“私は人間です”と言う看板を背負っているようなものだ。
———???
その時Aは、自分の足取りが真っ直ぐでないことに気づいた。
地面の感覚がない。ここまで必死だったから気がついていなかったのか、
自分の意識と体の動きの微妙なずれに、ついに体が悲鳴を上げ始めた。
一度気づいてしまうと、まるで水の中を歩くような感覚は、大きくなるばかりだった。
焦点も合わなくなってきている。まわりの風景が、時折ノイズの入ったTV画面のように見える。
ついにAは一歩も歩けなくなり、その場にうずくまってしまった。
ここは意識の世界のはずなのに、ここで意識を失ったら一体どうなるんだろう…うずくまりながらもそんなことがぼんやりと頭に浮かぶ。いつまで経っても意識は失うことができない…いっそ気絶できれば楽になるのに…

「大丈夫ですか?」聞き覚えのある声が頭上でした。
Aは誰かに抱きかかえられ、運ばれていた。
それも少しの間で、直ぐに固いところに寝かされた。
どうやら歩道沿いにある、ベンチのひとつに運ばれたらしい。
「この世界は初めてのようですね。大丈夫。
 “仮想世界酔い”はたいがいの人がなるんですよ。
 少し落ち着けば、感覚は戻ってきますよ」
柔らかな口調と、額に置かれた冷たい手の感触が心地いい。
しかしこの声はどこかで………?
うっすらと目を開けたAの視界に、金髪の巻き毛が飛び込んできた。
「は、伯爵!!!!!!!!!!!!!×○★#※♯♭」
パニックを起こし起きあがろうとしたが、再び襲ってきた目眩に、再び倒れ込む。
頭を打ち付けるかと思ったが、思わぬ柔らかい感触に驚く。
これは、もしや…膝枕?
思えばさっき運ばれていた姿勢を考えると、あれは「お姫様だっこ」じゃなかったか?
Aはこのまま意識を失うことを切に願った。

「私を“伯爵”と呼ぶってことは、君は私を知っているのかい?」
羞恥と目眩で死にそうになっていたAは、ここではたと我に返った。
伯爵ならば、こんな言い方はしない。
再び目を開けると、目の前にあるのはやはり伯爵の顔だった。しかしあの伯爵とは違う。
「大丈夫かい?、急に起きあがらない方がいい。ゆっくり、そう」
Aは伯爵(?)に背中を支えられながら、ゆっくりと起きあがった。
「落ち着いた?」
伯爵は辛抱強く、Aの回復を待ってくれている。そしてAが聞いていることを確かめながら、ゆっくりと言った。
「この姿に驚くところを見ると、君は私のオリジナルを知っているのかい?」
「うん。オリジナルって…そうか君は、V.I.なのか?」
ここに来てやっと思い至ったとは、我ながら情けない。
「そうだよ。今僕はある人物を、この世界でサポートしている」
「エーベルバッハ少佐?」
「ああ、やっぱり、君は彼のお友達かい?」
Aは再び目眩に襲われるかと思った。どこをどうしたら、僕があの少佐とお友達になれるんだ?
この世界がまだ実験段階であるというのを、今さらだが痛感した。
しかし、こうしてのんびりしているわけも行かない。少佐を捜し出すという目的は、思わぬ偶然で叶いそうだ。
「急いで少佐と連絡を取りたいんだ!彼は今どこにいるのか教えてくれ」
「それなら一緒に来るかい?僕は今から彼の所へ戻るところだから…」
伯爵の言葉が終わりきらないうちに、目の奥にむずかゆい感覚がした。
やがて視界いっぱいに光の明滅が始まった。
帰還シグナル?誰かがAを呼び戻そうとしている。まだ予定の時間には早すぎるはずだ。
早く伯爵に少佐の居場所を聞かなくては。
伯爵が何かを言っているが、厚いガラスを通しているようにゆがんで見える。
だんだんと光が遠くなる。
————やがて暗闇が訪れた。

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08 The realm of enchantment-3

mission 8 【幻惑の王国-3】

問いかけに黙ったままの少佐をみて、クラークは声を潜めた。
「——少佐?あんたもしかして、何にもご存じないんですか?
 まさか…気が付いたらここに来ていたなんていうのじゃないですよね?」
「ここへは任務で来た。だが詳しい話はできない」
「ああ…じゃあ少なくとも正規の任務な訳ですか」
それを聞いてクラークは、なぜかほっとした顔をする。
「それ以外でここへ来るのは、どんな奴なんだ?
 お前は何のためにここにきている?
 それに“気が付いたらここに来ていた”とは何だ?」
少佐はクラークの前に仁王立ちしてまくし立てた。
少佐の勢いに押されて、クラークは首をすくめる。
「少佐ぁ、そういっぺんに聞かないでくださいよ。
 ——でも、そんなことも知らずに、任務でここに来るってのも変ですね?」
クラークは、身振りで少佐にも座れと促す。このまま見下ろされていてはたまらない。
「時間がなかったんだ。その代わりに案内人がいる」
「最近このへんでうろうろしている、金髪のきれいな男だな」
「そんな事はどうでもいい!まずお前が何でここにいるか
 聞かせてもらおうか」
クラークの隣にどっかりと腰を下ろしながら、少佐は言った。
「俺は、ま、言ってみりゃボランティアですよ。
 リアルなシミュレーションゲームがあるって言うんで興味を持ってね。
 志願したんですよ。仕事って言ってもたまに訓練があるだけで、暇なもんです。
 あ、さっき俺があなたに聞いたことですが…
 俺たちの間の隠語で実験の被験者が死人で監視管を死に神って呼んでるんです。
 なんせ本体はずっと死人みたいに寝っ転がってるんですからね」
「ほぉ。」
こいつは嘘をついている。しかしここで彼を締め上げたとしても、たいした情報は得られないだろう。
「お前、確か去年何かの作戦に参加して、それきり見かけなかったな。
 もしかしてこの作戦に参加してたんで、いなかったのか?」
「そ、そうなんです」動揺するクラークを見て、やはり彼の身に何かが起こった事を確信する。
黙って先を促すと、クラークはしどろもどろになりながらも続けた。
「怪我があったんで、暫く体を休めようと、この実験に参加したんです。
 この世界ならば体に負担はかからないから」
「そうか。大変だったんだな。それじゃあここは長いわけだ。
 たまに力になってもらえないか」
「も、もちろんですよ」
「じゃあまずビールの飲み方から教えてもらおうか。奢るぜ」
そう言われてクラークの顔がぱっと明るくなった。
こいつは暫く泳がせよう…。

クラークと別れて部屋に戻ると伯爵の姿がなかった。
時計を見ると10時を回っていた。
机の上に「また明日」というメモを見つけた。
この世界で人は眠りにつくのだろうか?
今まであまり意識していなかったが、肉体的な疲労を感じない。
もちろん精神的には色々と疲れることがあるが、夜になっても休みたいという気にはならない。
食事についても同じく、空腹というものを感じない。
クラークに言わせると、俺にはその手の欲望が薄いらしい。
しかし慣習として食事は取るようにと勧められた。
現実と仮想世界とのギャップはなるべく少ない方がよいというのだ。
それでいうと睡眠も取った方がよいのだろう。
少佐は試しにベッドに横になってみた。
——しかし一向に眠くならない。やはりあれか…あれがないと俺は…
「めーりさんのひつじ、ひつじ…」
とたんに意識が遠のいていった。


突然意識が戻った時、窓の外は明るくなっていた。時計を見ると6時。朝だ。
「少佐」
わっ!は、伯爵?!」突然のことに思わず飛び起きた。
薄明かりの中、伯爵が座っていた。
少佐は思わず自分の着衣を確かめほっとする。(いや、こいつは違うんだ…落ち着け…)
「ど、どうしたんだ、こんなに早くから?」
「“また明日”ってメモを残したろう?
 いつ君が僕を呼ぶか分からないから、ここで待っていようと思って」
これではまるで“日曜日のお父さん”だ。
子持ちの部下から、休日に子供が遊んでもらおうと、朝からまとわりついてくるという話を聞いていたが…
まさか自分の身に起こるとは。
少佐はベッドを下りてバスルームに行った。鏡を見ると、服のまま寝てしまっても、皺ひとつできていない。
仮想世界とは便利なもんだ。
「今日はどこに行きたい?」
「そうだな…ちょっと考えさせてくれ(まだ6時だぜ)
 それよりお前、ヒプノスに会った事あるか?」
「無いよ。彼に会えるのは、ほんの数人だ。V.I.も色々あって、
 彼自身が作った者と他の人の作った者がいる。
 側近はみんなヒプノスにプログラミングされた、いわばエリートさ」
「お前はどうなんだ?」
「分からない。僕のプロトタイプはヒプノスのプログラムらしいけど、
 カスタマイズされたのは最近だから」
「実在する人物を、V.I.として作り出すことは良くあることなのか?」
「うん。行動パターンなど設定する時に、モデルがいる方が楽だからね」
「お前をカスタマイズした奴が、本物の伯爵を知っていたとは思えんな」
伯爵にしてはこいつは素直すぎる。
それとも“あの趣味”さえ無ければあれも案外まともな奴なのか?
「君がもし望むのなら、本物に近づけるよう努力するよ。
 どんなときに彼はどういった行動を取るか、教えてくれ」
「やめろ」思わず大声になってしまい、伯爵はきょとんとした。
「いや、すまん。…お前はそのままでいい」
訳なんか聞かないでくれ。
それに…恐ろしいことに、俺はこの“伯爵”に嫌悪感を抱いていない。
少佐の表情を読みとったのか、伯爵はだまったまま少佐の言葉を待っている。
「とにかく、今日はヒプノスのアジトのある周辺を回ってみたい。
 案内してくれ。まずシティ内で周辺を探って、それから外に出る」
「分かった」
早朝から既にV.I.達は行動していた。勤勉に自分の役割をこなしている。
「俺と会う前は、お前いつも何していたんだ?」
少佐は歩きながら、ふと疑問に思って聞いてみる。
「本物の伯爵の行動パターンをこの世界で踏襲するのは、
 あまり意味がないと僕をプログラムした人は判断したらしい。
 データとして美術品の知識や鍵の開け方は知っているけど、
 実際に泥棒に入ったことはないね。
 行動パターン予め決められているV.I.もいるけれど、僕は何も制約がなかったので、
 人間達の行動をトラッキングしてたよ。そこから人間の行動を学んでいたんだ。
 僕らは自分で情報を蓄積していくようプログラムされているから、
 それぞれ色々な知識と経験を積むように行動している」
「それでは…あいつの趣味は…その、男の…」我慢できず少佐は聞いてみた。
「ここでは性的嗜好はあまり意味がないよ。
 だけど必要ならば、君が教えてくれ」にっこり笑って伯爵は応えた。
「俺がか??」冗談じゃない。少佐は思いっきり後に下がった。
「冗談だよ。僕は君に関するデータもちゃんと入ってるからね。
 そう言うことを君が嫌っているのは、わかってる」伯爵はくすくす笑いながら言った。
冗談も言えるとは上等だ。少佐はむっとしたまま先に立って歩き続けた。
伯爵はその後をうれしそうに付いてくる。段々知恵が付いてきやがった…。

シテイの境界線に近づくと、建物はまばらになり、やがてフェンスに区切られた場所に出た。
「ここから先がヒプノスのアジトのある丘だよ」
伯爵が指さす先は、細い道が鬱そうとした林の中に伸びていた。
「ここは最初にシティに入った時のような、目くらましは無いんだな」
「うん、でもここの出入りは監視されていると思うよ。
 アジトのまわりは何人かのV.I.が歩哨として監視している」
フェンスを見ると丘に続く道への扉が、鍵もなく開いていた。ここの出入りは自由らしい。
少佐と伯爵は丘のまわりを歩いてみることにした。
頂上は林に遮られて、見ることができない。
丘の裏手にさしかかった時、少佐の目の端に何かが映った。
無言で手を伸ばし伯爵を止める。伯爵は怪訝な顔をするが、目で合図をすると分かったと小さくうなずいた。
ひとり…ふたり…少なくとも5人はいる様だ。この距離ならば逃げ切れるだろう。
しかし姿を見られているとしたらこのあとここに近づくことが困難になる。
少佐は相手の出方を見ることにした。
こちらが気が付いていることを見て取ったか、人影が姿を現し近づいてきた。
「こんな所で何している?」
先頭の男が声をかけてきた。5人ともまちまちな服装だ。
「おい、この金髪のにーちゃん見かけたことあるぜ」後の長髪の男が口笛を吹く
もうひとりが伯爵に近づき、無遠慮に髪に手にからませる。
「ドールか?」
「ああ」
ドールとは察するにV.I.のことか、とたんに5人の態度が大きくなる。
「どうした、こんなとこまで来て、誰かに命令でもされたか?
 ドールはドールハウスでおとなしくしてろ!」
伯爵の衿に手をかけ、男が凄む。
「やめろ」少佐は伯爵にかけられた手を払いのけながら言った。
どうやら少佐もV.I.と思っていたらしい。相手が驚いて飛びあがった。
「お、お前??何だ、この辺じゃ見かけないな一体どこのどいつだぁ?」
こんな奴らに名のる気はさらさら無い。黙りを決め込むか。
しかし少佐は不安要素が一つあった。
バーコードだ。自分にはバーコードがない。これでV.I.だと思われては、
こいつらが何をするか分かったもんじゃない。
——相手は5人…勝てるか?
その時、背後から別にもう一人が歩み寄ってきた。
「あれ、少佐じゃないですか?」緊張して身構えた少佐の耳に、聞き覚えのある声が響いた。
クラークだ。
少佐という階級を聞いたとたん、残りの5人がとたんに居住まいを正す。
どうやら格好はみすぼらしいが、こいつら一応は軍人らしい。
「どうしたんです?まさか少佐の任務って、ヒプノスを取っ捕まえるってやつですか?」
「ばかもん」少佐は思わずクラークの頭を張り飛ばす。
「いて!何すんですか?」
「もし仮にそうだとしても、そんな大声でいってどうする?
 奴のアジトの近くで、しかもこいつらは何だ?」
こいつらと呼ばれた男達は、居心地悪そうに固まっている。
クラークは物怖じもせず少佐の肩をぽんとたたき言った。
「大丈夫ですよ、こいつら俺の仲間です。
 どうすか、少佐。ここは一つ協力体制を取りましょうよ」
こうも気楽に協力体制といわれても、信用し難い。
少佐のあからさまな不新顔に気づいて、クラークは先程はたかれた頭をさする。
「まいったな。そりゃ俺のこんな調子じゃ信じてもらえないのは分かりますがね。
 ここはひとつ俺たちのアジトに、足を運んでくれませんか?」
「どこへだ?」
「近くです。もうちょっと話ができる男がいますから」
仕方がない。ここでぐずぐずしていても、この人数だ。ヒプノス側に見つからないとも限らない。
「案内しろ」短く言うとクラークの腕を引っ張り、歩き始めた。
5人と伯爵が慌てて後を追う。
「しょ、少佐! 分かったから、手を離してくださいよ。
 ちゃんと案内しますから」
少佐が手を離すと、クラークは林の奥を目指して歩き始めた。
その後を少佐が追い、伯爵がそれに続いたところ、仲間の一人が伯爵の前を遮った。
「ドールはだめだ」
「こいつは必要だ」少佐が戻ろうとすると、その腕をクラークがつかむ。
「すみません。俺たちの規則なんです。ドールはヒプノスが作ったもんだ。
 こいつの意志にかかわらず、情報が漏れるかもしれない。
 人間だけでお願いしますよ」
仕方ない。少佐は伯爵に行けと合図する。伯爵はあきらめたように立ち止まった。
男達について林を進む中、振り返ると伯爵はまだ立ちつくしていた。
その姿が妙に頼りない。捨てられた子犬のようで妙に胸のあたりがむずむずする。
「おい、帰って俺の部屋で待ってろ!」歩きながらそう呼びかけると、伯爵はうなだれてやっと歩き出した。
頼むぜ、叱られた子供じゃないんだぞ。本格的に保護者の気分だ…。

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09 The realm of enchantment-4

mission 9 【幻惑の王国-4】

一行が林を抜けると、ぽっかりと空いた広場のような所に出た。
アジトと言っても林の木を切って組み合わせたログハウスのような小屋が一軒建っているだけだ。
まわりには数人の男達が固まってたき火を囲み、ひそひそとしゃべっていた。
クラークや少佐達が近づいて来ても、気にする様子はない。
「こんな所で貴様、何を企んでいるんだ?」
少佐は不信感を露わに、クラークに聞いた。
そんな少佐の様子に、クラークは肩をすくめていった
「少佐、あんたの任務が何か知らないが、
 もしそれがヒプノスに関わることならば、俺たちは協力できます。
 俺たちはずっとヒプノスを監視し続けているからね」
「一体何のためだ?
 お前達はこの世界に望んで来たのだろう?
 もしここが不満ならば、出て行けばいいじゃないか」
クラークはそれを聞いて、視線を逸らした。
「…こちらにも事情があるんですよ」
ここへはボランティアで来たと言ったはずだが…。
少佐はクラークに続きを促した。
「ここに来た当初は、もっと行動の自由があったし、V.I.達も数が少なく、俺たちに従順だったんですよ。
 ところが、最近は俺たちまで行動が制限されるは、V.I.もヒプノスの命令以外聞かなっちまった。
 もちろん、俺たちは上に報告しましたよ。
 しかしただ、“状況を監視し、随時報告せよ”としか言われない。
 こうなりゃヒプノスをとっつかまえて、事情を説明させようとしたが、
 多くの仲間が、ヒプノスのアジトに潜入して、行方不明になっちまった。
 おまけに今は、俺たちはレジスタンス扱いですよ」
なるほど、一応は筋が通っている。しかしクラーク達はなぜ、ここに執着するのだろう?
それが分かればもっと状況が見えてくると思うが、彼らの様子からおいそれと言うようには思えない。
「お前達は俺に何をさせたいんだ?
 まさかただで俺に協力するとは思えないんだがな」
「それについては私から説明しよう」
少佐の背後からから声がした。どこか聞いたことのある声だ。
振り向くとそこには忘れられない男が、アジトから出てくるところだった。
「マイヤー!!」
こいつが俺を何の目的か知らんが、こんな世界に閉じこめやがった。
少佐は思わずマイヤーに詰め寄った。
胸ぐらを掴み引き寄せるが、マイヤーは動じもせず、不適な笑みを浮かべている。
「どうですか、少佐。この世界を楽しんでいますか?」
「貴様っ!」
思わず殴りそうになるが、マイヤーはどうぞとばかりに顎を上げ、目を閉じる。
「殴って気が済むならどうぞ。できれば眼鏡は壊さないでください」
俺はこんなタイプは大っ嫌いだ。しかし無抵抗な者を殴る気はしない。
少佐は渋々マイヤーを解放した。
マイヤーは人差し指で眼鏡を上げ、ゆっくりと乱れた髪をかき上げた。
「少佐、あなたはやっぱり冷静な人だ。
 そんなあなただからこそ、お願いしたいことがあります」
そして…とマイヤーは少佐の方に手をかけ、耳元でそっと囁いた。
「あなたは私の頼み事を断れない。
 大丈夫、ちゃんともとの世界には帰して差し上げますよ。」
耳にマイヤーの息がかかる。少佐の背筋に悪寒が走った。
少佐は肩にかけられたマイヤーの手を、乱暴に振り払った。
いまここで口を開くと、罵倒しか出てこないだろう。
ぐっとこらえて、マイヤーを睨みつける。
マイヤーは、そんな少佐を面白そうに見つめている。
「さて、もう少しあなたと遊んでいたいが、そうも行きません。
 中であなたの任務について、話し合いましょう」
そう言うとマイヤーは、先に立ってアジトの中に入っていった。

建物の中は、思ったよりも広かった。
窓は殆どがふさがれていたが、天窓がしつらえており、明るい光が差し込んでいる。
中央には木製の広いテーブルがあり、地図や書類が雑然と広げられていた。
このアジトにいる男達は軍服や作業服のような出で立ちだったが、マイヤーは少佐を迎えに着た時のように、地味なスーツを着ている。彼はテーブルの奥の席に着くと、少佐にも座るよう促した。
「あなたには驚きです、少佐。その順応力は目を見張りますよ。
 たいていはこの世界に来ると、“仮想世界酔い”で、数日は身動きが取れなくなる。
 しかしあなたは直ぐに、現実世界と何ら変わらない行動ができた。
 正直こんなに早くお会いできるとは、思いませんでした」
テーブルに肩肘を付き、マイヤーはリラックスした様子で言った。
のんびりした口調がよけい少佐の癪に障る。
「御託はいい。貴様は最初から、俺を騙してここに送り込むつもりだったのか?
 情報部も騙されたのか、情報部もぐるなのか、教えてもらおう」
「あなたがここに来ることになっていたのは変わりません。
 情報部の目的と私の目的は、そう違いがありませんよ。
 ただ任務のついでに私に協力をして欲しいだけです」そう言ってマイヤーはにっこりと笑った。
その笑顔がよけいに嘘くさい。
しかし弱みを握られている限り、話を聞くしかない。
「何が望みだ」
「情報です」
「それだけか?」色々な可能性を考えていた少佐は、拍子抜けしてしまった。
「そう。まずはそこからです。
 ね、あなたの任務に何ら支障がないでしょう?
 あなたならヒプノスは気に入るでしょう」
「その言い方からすると、お前はヒプノスと接触する方法があるのか?
 それならば、このレジスタンスのメンバーを使えばいいじゃないか」
少佐の言葉にマイヤーは肩をすくめた。
「彼らはこの世界を、自分のいいようにしたいだけです。
 そんな奴らを、ヒプノスに会わせるわけにいきませんよ」
「確かに…」あいつらは荒っぽいことには使えても、腹芸はできまい。
少佐の納得した表情をみて、マイヤーは先を続けた。
「私はあなたに、ヒプノスの行動を知らせて欲しいだけです
 そして…彼の暴走を止める方法を考えたい。
 あなたの任務と唯一違うことは、ただ一つです。
 …彼を決して傷つけないでください」
今までの斜に構えたような態度は一変し、マイヤーは真剣な面もちで少佐に言った。
「おまえ?ヒプノスの何なんだ?」
「ヒプノスに会えば分かりますよ」そう言うマイヤーの表情からは何も読めない。
情報を小出しされるのに、いい加減辟易しているのだが、どうしようもないようだ。
「分かった。じゃあヒプノスに会う手はずはどうする?」
「嬉しいですね、話が早くて助かります」
さっきまでの真剣さがまた、うさんくさい微笑みに変わる。
マイヤーは手近にある紙を破り、何かを書き付けて少佐に渡した。
「この店にいれば、あなたならきっとスカウトされますよ」
「スカウト?」
「ヒプノスは傭兵を集めています。
 私が紹介すれば、警戒される。誰も声をかけなかったら考えますが
 まずは誘いに乗ってください」
そう言ったあと、マイヤーは少佐が何か言いたげなのに気づいた。
「どうしたんです?」
「いや…ちょっと聞きたいんだが…
 V.I.を連れて行っても構わないか?」
去り際の伯爵の表情が、脳裏から離れない。
マイヤーはいかにも面白そうな顔で、少佐を見つめた。
少佐は自分が赤面しているのではないか、心配になった。
「一応奴はナビゲーターだ。
 置いておく訳にはいかないだろう…」と、もごもごと歯切れの悪い言い訳をしてみる。
「構いませんよ。むしろその方がヒプノスの気に入りますよ」
そう言いながらマイヤーの肩が小刻みに震えている。笑いをこらえている様子だ。
「分かった」マイヤーの態度にむっとしながらも、ひとまず安心した。
「では、今日はこれでお帰りください」
そう言うとマイヤーは先に立って歩き、ドアを開けて少佐に出るように促した。
まだマイヤーには聞きたいことがあったが、彼の態度には物を言わせないものがあった。
仕方なく少佐は外に出た。もと来た道を引き返そうとすると、背後からマイヤーの声がした。
「少佐…アドバイスしておきますが、V.I.は子供です。
 嘘を付かせるより、騙しておいた方がいいですよ」
少佐はその言葉を無視して、もの凄い勢いで歩いていった。
くそ…俺としたことが、いい恥さらしだぜ。
こうなったら意地でも伯爵には役に立ってもらうぞ。
すっかり責任転化な事を考えながら、少佐は部屋に戻った。


少佐が部屋に付くと、くらい部屋の中、伯爵がベッドに腰掛けて待っていた。
「電気ぐらいつけろ」そう言って電気をつけると、伯爵は初めて少佐に気づいたようだ。
ほっとしたような顔をする。なんだか訳もなく罪悪感にかられる顔だ。
「明日行きたいところがある。案内してくれ」
そう言いながら、マイヤーに渡されたメモを見せる。
伯爵はだまってうなずいた。
「そう言えば、少佐…今日少佐と別れてから、少佐の知り合いだって人に会ったよ。
 何だか少佐に連絡を取りたがってたけど、
 話の途中で強制帰還されたみたいで、詳しい話はできなかったんだ。
 今度彼と出会った場所に行ってみたら、また会えるかな?」
「そいつの特徴を話してみろ」
伯爵の説明を聞いて、少佐には相手が誰だか直ぐ分かった。Aだ。
しかしなんてタイミングが悪いんだ。
これからヒプノスに接触しようとしている時だ。不安要素は取り入れたくない。
奴には色々調べてもらいたいこともあるが…今はだめだ。
少佐はため息を一つつくと、伯爵に言った。
「伯爵、今度そいつに会ったら、伝えてくれ。
 “俺は会えない”と。」

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10 the double exposure-obverse side

mission 10 【二重の影-1】

目の奥で光が点滅する。
誰かが名前を呼んでいる。
腕にちくりとした刺激があり、Aは突然現実に呼び戻された。
「どうしてっ!!」
Aは思わず飛び起きるなり、目の前にいた白衣の男につかみかかってしまった。
「A、落ち着け!」気が付くとCがAの肩をつかみ、引き戻していた。
「ご、ごめん…」我に返って一つ呼吸を整える。
「約束の時間より早いようだけど、何かあったのかい?」
Aは体中に付いたコードを数人のスタッフにはがされるままに任せ、Cに聞いた。
「Aの言っていた電力消費の多い施設を調査していて、いくつか候補を上げたんだ。
 そのうちの一つにEとHが向かったところ、
 どうやらヒプノスの使っていた施設らしい」
「そ、それで何か手がかりがあったのか?」
こんなに早く何かが見つかるとも思っていなかったAは、期待をこめて聞いた。
「これから報告を聞きに行くところだよ。
 君も聞きたいだろうと思って呼び戻してもらったんだ」
Cはそう言いながら、Aに上着を渡し、ドアに向かった。
Aは上着を受け取ると、Cに遅れまいと足を踏み出したが、なぜか体が前のめりになり、よろけてしまった。
慌てて駆け寄ったCに支えられなければ、倒れていたろう。
「大丈夫かい?戻りたては感覚が戻るのに時間がかかるって聞いていたのに、
 忘れてたよ。ごめん。ゆっくり歩こう」
「大丈夫、すまないけど肩を貸してくれ」
一刻も早く経過を聞きたい。その思いでCの肩を借り、Aは必死に足を繰り出す。

目的地はAのいた研究施設から車で40分の所だという。Cの運転で向かうことになった。
Aの友人の情報分析室のスタッフ、カーンも同行している。
車窓からはのどかな田園風景が続いている。
車の中でAは、電力消費の多いまたは大容量の発電機を購入した施設、団体のリストを見ていた。
多くは病院だが、中には怪しげな名前の研究所や宗教団体もある。こんなにも多くの団体が、放送局並みのスタジオや、巨大なシェルターを備えているとは驚きだった。
これから向かうのは、個人の会社だ。業務内容は倉庫とその管理のはずが、膨大な電力を使っているところだ。
持ち主の記録をあたってみたが、全く記録が無かった。
「この施設はまわりに民家や農地がないので、人通りが全くないんだ。
 だからどんな人が出入りしていたか、全く情報がない」
Cは運転しながら、Aの膝の上に何枚かの写真を放り投げた。
まわりを背の高い植物が伸び放題の、荒れた感じの建物が映っている。
外壁もぼろぼろだ。これでは誰も注意をしないだろう。
「この隣の小屋が発電機だな」
後からAの肩越しに写真を見ていたカーンが言った。
なるほど、建物の後方に小さな小屋がある。
「でも結構離れてるけど何でかな」
「精密機器にはタービンの振動とか影響出るから」
そう言いながらカーンは考え込んだ
「この規模ならばここは中心的施設じゃないね」
「ああ。この施設では数人、多くても10人くらいだろう。
 Eの話だと、つい最近何かを運び出した後があったらしい。
 残っていたのは一人分の装置だけだってさ」
暫く林間の舗装の良くない道を走った後、人影が手を振っているのが見えた。Hだ。
「どうした?」車窓からCが顔を出す。
「この先を左折して暫く行くとトンネルがあって、
 直接地下の研究施設に入れるんだ」Hが説明する。
先程写真で見た建物は、ダミーだったらしい。本体は地下だったのか。
車が1台やっと通れる狭い道を行き、やがて目の前に、黒々としたトンネルが開いていた。
中に入ると、途端に道は舗装され、車は滑るように進んだ。直ぐにトンネルは行き止まりとなり、少し開けた駐車場のような所に出た。そこに小さなドアが一つあり、その前にEが立っていた。
「待っていたよ。言われたとおり、まだ機械類には一切手を触れてない」
Hについて全員が中に入っていった。中にはいくつか小部屋があり、一番奥の部屋にHはみんなを案内した。
部屋にはAが仮想世界へ入った時と、ほぼ同じ設備があった。
カーンは早速端末に向かう。カバンからCDやケーブルを出し作業を始めた。一心不乱に作業するカーンの後で、Aは見守るしかない。
その時、HがAの袖を引っ張り部屋の隅へと連れて行った。
「なんだよ」そう言えばさっきからHは何か言いたげだった。
「これを見てくれないか」
そう言ってHはAに腕時計を差し出した。ジンのクロノグラフだ。ストラップをNATO軍の物に換えてあるのは、Aには確かに見覚えがあった。
「これ…少佐の?」Aは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「やっぱり…」Hも硬い表情で頷く。
少佐が行方不明になってまだ3日だ。とするとここは直前まで使用されていたのだ。
もっと早く見つけていれば、少佐を救出できたかもしれなかったんだ。悔しさにAは唇をかみしめる。
どうしてこうもすれ違いばかりなんだろう。

「うわ!!まずい」
背後でカーンのうわずった声が聞こえ、A達は彼の背後に駆け寄った。
「どうした?」
カーンは問いかけに応えることなく、もの凄い勢いでキーボードを叩いている。モニタには洪水のように文字が流れていく。
「やられた。気をつけてたつもりだが、トラップに引っかかった!」
そう言いながらもカーンは手を休めない。
暫く弾丸のようにキーボードを叩く音だけが、部屋に響いていた。
やがてカーンがため息をつくと手を止め、コンピュータの電源を切った。
「やれるところまではやりました。
 後はこのマシンを研究室に持って帰ります。
 どこまでデータが復旧できるかは分かりません…」
Aからはカーンの顔が見えない。
無言でコードを抜き、コンピューター抱えたその肩は、心なしか震えているように思えた。
「君は十分やってくれたよ」
Aが慰めの言葉をかけながら、カーンの肩に手を置く。
すると、Aの耳には信じられないことにカーンの含み笑いが聞こえてきた。
「???」
「ふ、ふふふふふ…」ふるふると身を震わせながら、カーンは怪しい笑いを漏らしている。
「上等だ…ヒプノス! この挑戦は受けて立つ!
 何が何でもあんたの正体を暴いてやる!
 そしてどっちが上か分からしてやるぞ〜〜!!」
どうやらカーンのライバル心を刺激するようなプログラムだったらしい。
以前からオタクな奴だと思っていたが、ここまでとは…Aはため息をつくと、
カーンから離れた。これがいい方に行ってくれれば、
思いの外早く成果が上がるだろう。

情報部に帰ったAは、仲間達の集めたヒプノスと見られる者の行動記録を整理していた。
行動半径の広さと、その仕事量の多さは目を見張る。
H計画においては、上部との折衝、プログラマーチームの統括から、自ら仮想空間へダイブしてのデバックまで、ありとあらゆる作業に関わっている。これならばクーデターを起こす準備は十分できたろう。
記録を見ているうちにAはおかしな事に気が付いた。
確かに一日の行動としては矛盾はない。
しかし…???
Aはヒプノスの行動を時系列順に並べたリストをプリントアウトした。
それを持って、ミーティング用にしつらえてあるテーブルに、地図と共に向かった。
地図を広げ、ヒプノスの足跡をたどる。マーカーで印を付け、横に日付と分かる場合は時間を入れていく。
ある日にちを限定して、集中的に見ていくと、A地点からB地点に移動しているはずの時間に、仮想世界でも行動している。移動中に仮想世界へとダイブすることは、いくらヒプノスでも不可能なはずだ。複雑に絡み合った彼の行動を、少しずつ解いていくと…絡み合った糸はやがて二つの流れに分けることができた。
Aは部屋を飛び出し、情報分析室へと駆けだした。
部屋に飛び込むと、一心不乱にキーボードを叩いているカーンの肩をつかみ揺さぶった。
「お、おい?A一体どうしたんだ?」
困惑するカーンに構わず、Aは叫んだ。
「分かったんだ!
 ヒプノスはふたりいる!」

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11 the double exposure-reverse side

mission 11 【二重の影-2】

「少佐、きっと君の君のお友達は、何か重要な伝言があるんだと思うよ。
“急いで連絡を取りたい”って言ってたから」
お友達?伯爵にはもう少し人間関係というものを、教えねば…
伯爵の言葉に少佐は応えた。
「分かってる。しかし今、会うわけにいかんのだ。
 明日にはまた違う奴らと会うことになる。
 その時に、俺に関するよけいな情報は入れたくないんだ。
 ここでAと接触したら、あいつの身の安全も図れない。
 ——おまえ、そいつとどこで出会ったって?」
伯爵はAとであった場所と、その時の様子を少佐に伝えた。
「なるほど。あいつ、無理して来たな。
 ひどいのか、その“仮想世界酔い”ってのは?」
「僕には分からないけど、船酔いに目眩を足したような感じらしいよ」
生まれてこの方乗り物酔いになったことのない少佐にとって、この情報はあまり役には立たないが、ひどい目にあっていることだけは想像できた。Aの性格はよく分かっている。ただ闇雲に来たわけではなく、それなりに調査し、報告することがあるはずだ。しかし…。
「あいつと話すのは、せめてヒプノスに接触してからだ。
 そうしたら連絡方法を考えよう。
 お前は、あいつと会うことがあっても、目立つところで話はするな」
伯爵はその言葉に頷くと、立ち上がってドアに向かった。
「ちょっと待て、まだ話は終わっとらんぞ」
「え?」怪訝な顔で振り向く伯爵に、少佐は身振りで座れと示した。
「明日のこともあるが、とにかくお前には、人間関係とその対処の仕方を教えとくぞ」
さあ、ここから道徳の時間だ。少佐はため息をつくと伯爵の正面に座りった。
少佐は伯爵に、軍の階級や先輩・後輩の関係、同僚や友人等考えつく限りの説明をした。
仕事や任務に私情の入る事のリスクについては、悪いと思いつつ、Zの経験を語って聞かせた。
伯爵は言葉としての知識はあったものの、経験としてはゼロだ。少佐の説明に、最初は的はずれな質問をとばしていたが、やがて的確な答えを返すようになってきた。改めてV.I.の能力に感心する。
「分かったよ。それで、明日君が接触する相手には、こう説明すればいいんだね。
“僕はナビゲーターとして案内している、目的はこの世界の監視。”
 それだけを言えばいいんだよね。それ以外、君が誰と何を話したかとか…
 私は一切聞かなかった。
 そしてこれから会う人については、まず観察してから判断する。OK?」
「OKだ。飲み込みが早くて助かるぜ」本物の伯爵ならば、こうはいかない。
あいつは好きだとか。嫌いだとか感情論の方が先に立つからな。
「でも…ひとつだけきいていいかい?」
「なんだ?」
「君と伯爵──オリジナルとの関係は一体何なんだ?」
伯爵の言葉に、一時少佐は言葉を失った。
今さっき“冷静な判断で人を評価し、目的に応じての対処をしろ”と伯爵に教えたばかりだ。
その自分が、まさかあいつは変態だとか大嫌いだとか、言うわけには行かない。
「君の話を聞いていると、彼は友人ではなさそうだよね。でも敵ではない」
少佐は無言で頷く。
「ましてや君の恋愛対象でもない。…彼の方はおおありだけど」
伯爵はくすりと笑いながら、最後の言葉を加えた。
「あいつと俺は…水と油だ。住む世界も、価値観も違う。
 俺にはあいつが分からない。
 あいつは俺の守ろうとするものを、簡単に打ち壊す。
 俺はあいつが大切にしているものが、理解できない」
「では僕は?」
「?お前は…ナビゲーターとして役に立ってくれとるぞ(一応な)」
「では僕は君の友人には、なれないかい?」
伯爵の言葉に、少佐は応えあぐねた。
「今まで一緒に行動してきて、君は不快に思った?」
少佐は首を振った。それを見て伯爵は安心したような様子で、話を続けた。
「僕と君では文字通り住む世界が違う。知り合って時間もあまり経ってない。
 でも僕は君の役に立ちたいと思ってるし、君をもっと知りたいと思っている。
 君が僕のオリジナルを良く思ってないのは知ってるけど、
 “僕”のことはどうだい?」
少佐は言葉に詰まってしまった。
もともと自分は好き嫌いがはっきりしている方だが、一部の尊敬できる友人を除いて、おおかたの基準は“役に立つか立たないか”、“話が通じるか”等、自分の行動にどう影響するかだった。
──もっとも伯爵はあの趣味のせいで、生理的にだめだと思うのだが…
それも今のところ対処できないほど迫られているわけではないと思うと、前ほどの緊張感はない。
真っ直ぐに見つめる伯爵の顔を、少佐はまともに見られないでいた。
こんなに真っ直ぐに友情を求められたことは、初めてかもしれない。
少佐が黙り続けていると、伯爵はふっと微笑んで言った。
「僕は君を困らせてしまったようだね。
 大丈夫。友情は強制できないことぐらい分かってるよ。
 それでも君は僕を拒否しなかった。
 それは君にとっては最大限の譲歩だと思う。
 だからそれで充分だよ。今は、ね」
今は…か。黙っている少佐の肩をぽん、と叩くと伯爵は部屋を出ていった。
少佐はしばらくの間、立ちつくしていた。

その夜、メリーさんの羊は3回繰り返された。


翌日、昼過ぎになってから伯爵は迎えに来た。
念のために以前Aを見つけた場所に行ってみたそうだが、会えなかったと言っていた。
多少心配ではあるが、今はその方がいい。
何とかヒプノスの正体を確かめ、部隊の規模と目的を探り出した後だ。

マイヤーの指定した店は、アジトのある丘を望める、町はずれにあった。
オープンカフェになっていて、人々が思い思いに談笑している。
少佐と伯爵はあえて店の中の席に座った。
「何を飲む?」
「え?」
「奢るぜ」
ぽかんとしている伯爵を見て、少佐は伯爵が人から奢られることが初めてだと気づいた。
それどころかコーヒーを飲むことがあったかさえ疑わしい。
構わずに少佐はカウンターに行くと、自分にはコーヒーを、伯爵には紅茶を頼んだ。
伯爵は目の前に置かれたカップを、おそるおそる持ち上げ、一口すすった。
「ぁ、ありがとう。おいしいよ」そう言いながらも伯爵はぎこちなく微笑む。
少佐はコーヒーを飲むと、無意識にポケットを探り、顔をしかめる。煙草が無い。
そういえばこの世界で、煙草を吸っている人を見たことがなかった。
バーチャルなんだから、環境汚染とか肺ガンの危険性はないんだ。思いっきり吸わせてくれてもいいんじゃないか…。明らかに不機嫌な顔をした少佐を見て、伯爵にはその理由が分からず狼狽えていた。
「少佐?あの、何か僕が君を怒らせるような事を言ったかい?」
「気にするな」そう言いながらも、こんな事を説明するのは情けなく感じ、黙っていた。
その時、少佐の背後からすっと煙草を差し出す手があった。
「どうぞ」
「あ、すまん。」誰だか知らんがありがとう、と言おうと振り返った少佐は思わず言葉に詰まった。
「どうかしましたか?」呆然としている少佐に、煙草を差し出した男は怪訝そうに尋ねた。
「い、いや…、ここで煙草を吸ったらどうなるのかと…」何とか気を取り直し、少佐は平静を装った。
「大丈夫ですよ。普段通りに吸えば、ちゃんと煙草の味はしますよ。
 ところであなたはここで見かけませんね。こちらは初めてですか?
 見たところ軍人のようだが、こんな時間にここにいるということは?」
「ここに来てまだ3日目だ。
 ここには休暇をかねて見学に来ただけだ」
「なるほど。そちらの彼は?」そう言って男は伯爵の方を見た。
「俺のナビゲーターだ。
 あんたにも煙草のお礼だ。何か奢るぜ」
男はそれを聞いて、にっこり笑い、少佐の向かい側に座った。
「では、コーヒーを」
少佐が再びカウンターに向かうと、男は伯爵に向かって聞いた。
「彼はあなたを友人のように扱ってくれているんですね」
「そうですね。彼の中ではV.I.も人間も変わらないようですよ」伯爵は少し照れたようにうなずく。
やがてコーヒーを持った少佐が戻ってきた。
「まだあんたの名前を聞いてなかったな。
 おれはエーベルバッハ少佐だ。
 こっちの奴は…伯爵と呼んでいる」
(どう思われようと俺はこいつをファーストネームで呼ばんぞ)
「よろしく。私はマイヤーです」
昨日少佐と会った男と瓜二つだが、明らかにそいつとは雰囲気が違う男はそう言った。
「もっともここでは別の名前で呼ばれています。
 ──“ヒプノス”とね」

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12 An allegation

mission 12 【疑惑】

「ヒプノスはふたりいるんだ!」
そう言ったAの言葉を暫くかみしめていたカーンは、やがて電撃に打たれたようにコンピューターに向かって、何かを入力しだした。
「分かった。それならばもっと探索範囲が広がる。
 それと、ふたりを識別できる特徴があるかどうか、行動パターンを分析してみよう」
「僕が考えるに、ここまで息のあった行動ができるのならば、
 お互いが古くからの知り合いか、肉親かもしれない」
「了解」
一心不乱にキーボードを叩くカーンを残し、Aは再び情報分析室を後にした。
もう一度、あの世界へ行き、少佐と接触したい。
空になった実験室、置き忘れていた時計…あの時の情景がAの頭から離れない。
少佐は今どこにいるんだろうか?現実の世界へ戻っているのか、未だ仮想世界にいるのか。せめてそれだけでも知りたい。
Aは情報部に戻ると、Cを呼んだ。
「僕はこれからもう一度、あの世界へ行ってみるつもりだ。
 たぶん2、3日はいられるように頼むつもりだ。
 君たちは引き続き、ヒプノスの探索をお願いするよ。
 もし、少佐が見つかったら連絡してくれ。
 あちらの世界でもメールをうけられるから」
「わかった」そう言いながらも、Cはそのまま立ってAの顔を見つめている。
「何?」
「お前…大丈夫か?」そう言いながらCはAの額に手をやる。
「最後にちゃんと休んだのはいつだ?」
そういえば少佐の行方不明を聞いてから、眠っていない。仮想世界へのダイブは眠ったことになるのだろうか?
だが、この状況で休む気にはならない。
「大丈夫。こういう時に踏ん張りが利くのは、君も知ってるだろ」そう言いながらAは背筋を伸ばし、余裕の微笑みを浮かべて(どうか、そう見えてくれ)情報部を後にした。
背後からCが声をかけるのを聞きながら。
「——A…無理してまたはげるなよ…」


Aが再び仮想世界に付いた時、あたりは薄闇に包まれていた。
一日が過ぎるのは早い。焦るばかりで何も成果が上がらない。ふらつく足で、以前伯爵と出会った場所に行ってみる。当然そこに彼の姿はなかった。何とか彼を捜す方法はないだろうか?
街灯が灯り始め、V.I.達が一斉に歩き出す。きっと夕方に帰宅するようプログラムされているのだろう。
Aはあきらめて、作戦本部へ戻ることにした。
「アレクシス!心配していましたよ。
 いつまで経っても戻られないから、何か事故があったのかと」
Aの姿を見つけ、ヴァルターが駆け寄ってきた。
「すみません。ご心配を駆けましたが、急に帰還させられていたんです。
 今度は少し長く居られそうなんで、よろしくお願いします」
「ああ、そうだったんですね。心配していたんですよ。
 まだこちらの世界に慣れていないあなたを、
 一人で行動させてしまって申し訳なかったです。
 てっきり“仮想世界酔い”で動けなくなっているかと思い、
 周囲を探したりもしたんですよ」
「じ、実は一度倒れてしまいまして、通りがかったV.I.に助けられました」
Aが照れくさそうに言った途端、まわりの会話がぴたりと止まった。
「今、何と?V.I.が自発的に人間に接触したんですか?
 それともV.I.に助けろと命令したんですか?」
「は?いいえ。こちらはもう喋る事なんて出来ませんでしたよ。
 あの、僕は何か変なことを言いましたか?」
Aにはまわりの人たちの不思議そうな様子が理解できなかった。
「V.I.が自ら進んで人間に関わることは、今までになかったんですよ。
 ヒプノスが新たなプログラムを加えたのか、
 それとも何か別の要因があったのか…」
「そのことなら、そのV.I.は私の捜している人物の、案内役をやっていると言ってました。
 ですから、彼に何か言われていたのかもしれないです。
 …それにしても、ヒプノスはそんなに頻繁に、この世界に干渉しているんですか?」
この世界は狭い。ヒプノスがこの世界に頻繁に現れるのなら、捜すのはたやすい。
どんなに警護が強固でも、狙おうと思えばいくらでも方法はある。
「ええ。ほぼ毎日我々はヒプノスの言葉を聞いています。
 今日もそろそろ始まりますよ」
そういうとヴァルターはリモコンのスイッチを押した。
カウンターの上にあるテレビのスイッチが入り、ニュース番組が始まった。
内容は現実世界のニュースだ。人々は熱心に画面に見入っている。
やがて画面が切り替わり、演壇のようなものが映し出された。
Aはこれから初めて目にするであろうヒプノスの姿を、しっかりと見ようと画面に近づいた。
男が数人歩いてきた。まわりを囲んでいるのはボディガードや側近達だろうか。
よく見るとその中には部長が言っていた、ヒプノスの調査に派遣したはずの情報将校の姿もあった。誰もが無表情だ。彼らは一体本当に洗脳されたのだろうか?それとも何かヒプノスに付く理由があるのだろうか。
やがて中央の男が、画面に向かって喋りだした。抑揚を押さえた、しかしはっきりとした口調で画面に向かって語りかける。
「諸君はもうお気づきだろう。先日の掃討作戦の効果で、
 レジスタンスの動きは格段に弱まった。
 ここで生き残ったレジスタンスの諸君らに、もう一度チャンスをやろう。
 投降した者には、引き続きこの世界での生活を保障しよう。
 それ以外君たちには逃げ場はない。現実世界へと逃げるか、ここで死ぬかだ。
 私はもう何度も彼らにチャンスを与えてきたが、これが最後となるだろう。
 我々の世界は秩序ある規律によって保たれている。ここだけが唯一
 人々の欲望から解放された、理想の王国となるべき地だ。
 君たちにも私の見えている未来が見えるはずだ。共に歩んでいこう」
演説を見ているAは、おかしな事に気が付いた。目の前で喋っているはずなのに、まったく顔が解らない。
確かに見えているのだ。声も聞こえている。しかし目を瞑ってその男の顔を思い浮かべようとしても、何も浮かばない。
これでは彼と道ですれ違ったとしても、全く判らないだろう。
「これは⋯⋯一体どう言うことなんでしょう」
Aは隣で見ていたヴァルターに聞いた。彼は肩をすくめていった。
「さあ?私たちにもさっぱりです。誰もがヒプノスの顔を知っているはずなのに
 そのくせ誰も思い出せない。直接喋ったことのある奴もいるんですが、
 その人でさえヒプノスの顔を思い出せない」
「ジャミングをかけられている?」まるでレーダーに映らないステルス戦闘機のようだ。
この場合は視覚的効果でなく、意識を操作されているのか?それもここの住人全てを?Aは改めてヒプノスの力を見せつけられたような気がした。

それから数日間、Aは街を情報を求め歩き回った。
掃討作戦があったとヒプノスが言っていたが、街に人間の姿が少ないのはそのせいだろうか?
Aはまた伯爵と出会った場所に毎日足を運んだ。しかし、伯爵に出会うことはなかった。
時間ばかりが無駄に過ぎていく。現実世界とのメールのやりとりでも、進展が伝えられることがなかった。
この世界でもAはほとんど眠っていない。しかし現実世界のように、肉体的に辛いことはない。しかし、今だ時折ではあるが襲ってくる目眩には、どうすることもできないでいた。
これがもし戦闘になったときに起こったら⋯Aは勢いよく首を振ってその考えを吹き飛ばそうとした。
しっかりしろ。ここでは精神力だけが僕をつなぎ止めているんだ。
夕方にほぼ毎日ヒプノスの放送があった。
内容は、新しい規則が出来たという報告やこの世界の未来についてのビジョンを語るなど、毎回違っていた。Aはともすればヒプノスの話に引き込まれそうになる自分に、困惑をしていた。ヒプノスの語る未来は素晴らしいもののようにも思える。しかし、現実は違うはずだ。レジスタンスはなぜ彼に逆らうのか、なぜ人々はヒプノスを恐れるのか。それが答えの一翼を担っている。惑わされるな。真実を見ぬけ⋯少佐がいつも部下達に言っていた言葉を改めて思い出す。
その時、Aの目に信じられないものが映し出された。テレビ画面の中でいつものように数人を引き連れ、ヒプノスが演壇に向かって歩いてきていた。今日は側近らしき男がひとり増えている。その男からAは目が離せないでいた。手が冷たくなる。それなのに背中に汗が流れるのを感じた。
Aの様子がおかしいのに、ヴァルターが気が付き、近寄ってきた。
「アレクシス?どうしました?」
Aはそれに応えることが出来ず、画面を指さし、一言やっとの思いで絞り出した。
「少佐⋯少佐がヒプノスと一緒にいる!」

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13 hupokrisis-1

 

mission 13 【裏切-1】



「あんたが…ヒプノス?」少佐は暫くヒプノスを見つめていた。
おそらく呆けた顔をしていたに違いない。
ヒプノスは面白がっているような顔をして言った。
「そうです。あなたの顔から察するに、私のことお聞き及びのようですね。
 一体どんな男を想像していましたか?」
「いかつい小太りのおっさん…」むすっとした表情で少佐が応えると、ヒプノスは破顔した。
「いいですね。面白い方だ。
 あなたが考えていることは、おおかた分かりますよ。
 “本当にこいつはヒプノスなのか?”
 “なぜこんな若造に、歴戦のエージェントまでが荷担するのか?”
 答えはこれからあなた自身で見つけてください」
「あんたは俺たちに何をさせたい?」
ヒプノスが、もう一人のマイヤーが、なぜ揃って自分に関わってくるのか?
少佐には皆目分からなかった。自分が何かのコマにされているのだが、ゲームの種類も勝利の条件も分からない。今はストレートに聞いてみるしかない。
「正直なところまだ何も。ただ私はあなたに興味がある。あなたは他の人と違う
 “何か”を感じるのです。まあ、勘…と言ってしまいましょうか。
 ——ところで、この世界で“自然”に振る舞うことがいかに大変か
 あなたは考えたことがありますか?」
「たまにとまどうこともあるが、まあ外国に行ったと思えば気にはならんな。
 だがここは物見遊山に来る所じゃないな。」
「そう。ここは楽園ではありません。たいていの人は仮想現実に“夢”を求める。
 現実であり得ない幻想をね」
「はっきり言ってしまえば、欲望を満たす事だな。ここなら美食を重ねても、金も健康も損なわない。
 従順な美女のV.I.をはべらせてもいい——か。ばからしい!
 それにあんたはそうならない様に、この世界に色々制限を設けているじゃないか」
「そうです。人々が皆あなたの様なら、楽園を創れたかもしれません。
 だが、ここに集う愚か者のために、私はここをネバーランドにする気はない。
 それに反発する人々が、私を脅迫してプログラムを変更させようとしてきました」
ヒプノスの言葉を聞いて、少佐は思いだしていた。
先日出会ったレジスタンスの男達は、体制と言うよりも自分の思い通りにならないことに、反感を抱いていたようだ。奴らなら自分たちの欲望のために、ヒプノスを脅すことぐらいはしそうだ。しかし、あの程度の奴らが脅威になるとは思えない。
NATO軍もヒプノスを捕らえたがっている。——体何のために?
どうやらこの世界への出入り口は、閉じられていない。ただヒプノスの行動を掌握できないだけだ。それがどれほど重要なことなのか?何人ものエージェントを費やすほどに?
少佐が考え込んでいる様を、ヒプノスと伯爵が興味深げに見ていた。
暫くしてヒプノスが、沈黙を破った。
「少佐、伯爵は役に立っていますか?
 私はV.I.をこの世界を形作る重要な要素としているのですが、
 たいていの人はただのお飾りとしか見ていない」
「ああ、役には立ってるぞ」少佐はそう言いながら伯爵の方を見た。
(そう言えばこの間伯爵にも同じ事を聞かれたな)
伯爵は少佐の言いつけを守り、黙って二人のやりとりを観察していた。
自分の創造主・神にも等しい男との対峙を、このV.I.がどう思っているのか、
彼の表情からは計りきれない。
「こいつを見ていて、俺たちが日常に行っていることは
 実は経験による学習が必要だ、ということを教えられた。
 ここにいるV.I.たちがみんなこんな素直なガキなら、いいように利用されるのがオチだぜ
 親のあんたはそこをどう思っとるんだ?」
少佐が逆につっこむと、ヒプノスの表情は一変暗くなった。
「確かに、ここに来る人間達は、それに気づくとV.I.を奴隷のように扱います。
 人間でなければ何をしてもいいと。」
そこでヒプノスは一旦言葉を切り、伯爵の方を向いた。
「しかし、伯爵をご覧なさい。彼を創ったのは私だが、育てたのはあなただ。
 あなたは、私がプログラムをするよりも遙かに多くのことを、彼に教えている」
伯爵はそれにうなずくと、信頼に満ちた視線を少佐に向けた。その視線を受け止めるのはあまりに居心地が悪く、少佐はふと横を向いた。そして、話を戻そうとヒプノスに向かって言った。
「いっそ教育者や心理学者を、この世界に連れてくるべきだったんじゃないか?」
「そうできるものならばね。しかし軍がこの世界を創った目的は、全く別のものでした」
そう言えば部長からは仮想世界を創る実験とは聞いていたが、その目的については知らない。
「それについては、いつか機会を見てお話ししましょう……」
少佐の期待に反し、ヒプノスはこれ以上この話を続ける気はないようだ。
「——さて少佐、あなたは私を捕らえますか?」
突然のヒプノスの質問に対して、少佐は応えあぐねた。ヒプノスはまだ少佐の任務を知らないはずだ。
「俺がなぜ?」
「ここに情報部の…しかも将校が来ると言うことは、
 私を捕らえろ、もしくは殺せと命令されている確率が大きい。
 たとえ今命令が出されていなくても、私に会ったと報告すれば、必ずそう命令されますよ」
そうは言っても少佐は、報告すらする方法を知らない。
ここでこいつをふんづかまえた所で、どうにもならない。
「たとえ命令されても、今の俺ではどうすることも出来ん。
 わかってて聞いてるんだろう?」
「まあ、ね」そう言うとヒプノスはにっこりと笑った。
(この胡散臭い笑みは、もう一人と同じだ)
少佐がむっとして黙っていると、隣で伯爵がそわそわと身じろぎしているのに気がついた。
「何だ?」
「あの…実は…少佐がヒプノスを捕らえた場合、どうするかという命令はきてるんだ」
伯爵は上目遣いで少佐に言った。まるで悪戯を親に告白するような感じだ。
「お前……くそ! どうしろって?」
「彼を拘束し、通信を入れると部隊が到着するんだ」
「それで?」
「少なくとも君はその時点で、帰還できる」
ここまでこけにされた事は、近年稀だ。少佐は思わず声を荒げて伯爵に言った。
「そして俺は事情の分からないまま、現実世界の日常に戻るのか?
 その後主を失ったこの世界はどうなる?
 お前はそれでいいのか?!」
その言葉に伯爵は呆然とした。
「え?だって命令は?」
「俺は、お前がそれでいいのかと聞いたんだ。覚えているか?
 前に『何をしたいか、何をすべきなのかを自分自身で決めろ』と言ったよな?」
伯爵は暫く項垂れ、考えていた。そして決意に満ちた目を真っ直ぐに少佐に向け、言った。
「少佐、僕は真実を知りたい。
 この世界が、僕が、何のためにあるのか」
「よし!」
それを聞いてヒプノスが言った。
「そう言うことなら、私とあなた達の当面の利害は一致したと考えていいですね」
少佐はそれに応えてただ頷く。
「それでは、私の作戦室にご案内しましょう」

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14 hupokrisis-2

mission 14 【裏切-2】

「——いかがですか? ここが私の世界の中枢。
 私自身だと言っていい」
ヒプノスに案内されて、丘の上にあるアジトに案内された二人は、外観とはまったく違う広さに驚かされた。
中央が2階吹き抜けになったその部屋は、四方の壁をびっしりとモニターで覆われている。
部屋の中央には数台のコンピューターが稼働している。
部屋の中にはヒプノス以外誰もいない。
「ここに入れるのは私と、私の許した数人だけです」
「じゃあ実質一人でここを管理しているんですか?」伯爵がそう言いながら端末の一つ一つをのぞき込む。
「ええ。しかし私が全てを見ている訳ではありません。
 たとえば伯爵、あなたのように自分の意志で動くよう基本プログラムを組めば、
 あとは勝手に動いてくれる。
 ここまで来るのは大変でしたが、完成した今私がやることは、意外に少ないのです」
少佐はここで思い切って聞いてみた。
「あんたの本体はどこにいるんだ?もちろん場所は教えないだろうが、
 現実世界(あちら)と仮想世界(こちら)を行き来しているのか?
 それともずっとこちらにいるのか?」
「もちろん行き来していますよ。私の体が発見されてしまえば
 おしまいですからね。いくつかの場所を不定期で移動しています」
「それと…」
「せっかちですね。私たちが出会って間もないのに、あなたは質問ばかりですよ」
ヒプノスはそう言って、やんわりと少佐の質問を遮った。
「う…」少佐は思わず言葉に詰まった。
思いもかけずヒプノスを目の前にして、頭の中は疑問だらけだ。俺としたことが…落ち着くんだ。
「もしあなたが、私の信頼を得たならば望む情報を与えましょう」
「ギブ・アンド・テイクか」
「そう。まずはあなたのお手並みを拝見させてください。
 少々おいたの過ぎる人たちがいます。
 少しお灸を据えたいと思っているのですが…」
「どの程度に?」
「殺す必要はありません。できれば拘束してください。
 できなければアジトは破壊していただきましょう」
簡単に言いやがる。
それにしてもヒプノスは、あのマイヤーと胡散臭い笑みといい、声の抑揚の付け方までそっくりだ。だが最後にマイヤーにヒプノスの正体を聞いた時に『会えば分かる』といった事を考えると、こいつは別人だ。一つの世界に同じ顔の男が二人、それぞれが俺に要求を突きつけてくる。これは仕組まれたことなのか?

ヒプノスがキーボードを叩くと、目の前にまるでスクリーンがあるかのように画像が現れた。
いくつかの画像が順に映し出され、その横に小さく地図と見取り図が表示される。それらはアパートの一室や、店の場合もある。中にはマイヤーと会った、森の中のアジトも含まれていた。次に数人の男達の顔。“死んだはずの男”クラークもいる。しかしさすがにマイヤーの顔はなかった。
「これがレジスタンス達のデータです。覚えましたか?」
そんな急に無理だろう、と言おうとした矢先、
「はい」
と、伯爵が応えた。なるほど。V.I.とは便利なものだ。
「明日必要な人数と計画を話し合いましょう」
そう言うとヒプノスは踵を返し、部屋の奥にあるイスに腰掛けた。
少佐が見ている前で、ヒプノスの体は点滅する光に包まれ、やがて消えた。
取り残された少佐達は、仕方なくアジトを後にした。
ヒプノスのいない間に、この部屋でデータを見ることは出来ないかと思ったが思い直した。
彼のことだ、そんなことは出来ないようになっているからこそ、こうして置き去りに出来るのだろう。

それにしてもマイヤーはこの事態を想定しているのだろうか?
今マイヤーと会ったアジトに近づくのは、良策とは言えない。
あいつのことだ。俺をヒプノスに会わせた時点で、このくらいのことはとうに考えているはずだ。
仕方なく少佐は伯爵の持ち帰ったデータ(それらはアパートの端末にもう入っていた。どうやってデータを入れたのか伯爵に問いただしたが、伯爵の説明は全く要領を得なかった。彼にとってそれは、息をすることと同じレベルらしい)を見ながら計画を練った。
いくつかは一人または数人のグループで、拠点にしているのも普通のアパートの部屋だ。これらは行動を把握した時点で、直ぐに捕まえることは出来るだろう。
少佐は伯爵に各施設の襲撃に、必要な人数と装備を記憶させた。伯爵は少佐の言葉を、一言一句間違えず記憶している。便利なものだ。
問題は森のアジトだ。あそこには少佐が訪ねた時点で7〜8名いた。当然まわりにも歩哨がいただろう。
最初に叩くならここだ。ここを壊滅させれば、仮に逃げ出した者がいても、潜伏先はこのリストにある部屋か、同じ様な施設だろう。後日、各所を同時に襲撃することは可能だろう。
計画の骨子を、伯爵に向かって口述し終わり、少佐は時計を見た。もう夜中の2時過ぎだ。
ふうっとため息をつき、少佐は珈琲を入れるためキッチンユニットへ向かった。
「少佐…」背後から伯爵の不安げな声がする。
「なんだ?」
「本当に…ヒプノスの言うことを聞くの?今日の少佐は何だか別人のようだよ。
 人を傷つけるもしれないのに、平然としている」
「当たり前だろう。俺は軍人だ」
「僕はあなたには、ただの人であって欲しい…」
「はあ?」
何寝ぼけたことを言ってやがる?思わず力が抜ける様なことを、こいつ本気で言っているのか?
振り向くと、真っ直ぐ少佐を見つめる伯爵の顔があった。子供のような純真な目。
少佐の胸の奥で何かもやもやとしたものがわいてくる。
慌てて頭を振り、バカな考えを振り払う。
しっかりしろ。俺は今、ヒプノスから情報を得ることを第一に考えるんだ。
「とにかく、俺はこの状況を打破するためには、ヒプノスの計画に荷担するしかない。
 あいつの目的がなんなのか、それを知りたい。お前も協力してくれ」
伯爵は暫く少佐の顔を見つめて、そして小さく頷いた。そして何も言わず部屋を後にした。
取り残された少佐は、しばらくの間伯爵が出ていった後の空間を見つめ続けていた。


翌朝、少佐は伯爵と共にヒプノスのもとに向かった。昨日から伯爵は一言も口をきかない。すねてやがる…しかしなだめる手だてを思いつかぬまま、少佐も黙って歩いていった。
アジトには人がいない。少佐達が進むと、自動的にドアのロックがはずされ、中心の部屋へ導かれた。
部屋の中央にはヒプノスが腰掛けていた。
「おはようございます。少佐。昨日私が依頼した計画は、どうですか?」
「ああ、出来てる」そう言うと少佐は伯爵に向かって頷いた。
伯爵が目の前の端末に向かって手をさしのべると、部屋の中央にスクリーンが現れ、森のアジトの図面と周辺の地図が映し出された。
「建物の中はおそらく8人が待機できる程度だろう、
 しかし周辺に分散している奴がやっかいだ。
 まず3班に分かれ、Aはここで窓を破って突入、Bは入り口で待機。
 Cはアジトに戻ってくる歩哨を確保——」
少佐が図を指し示しながら計画を説明するのを、ヒプノスは黙って聞いていた。そして少佐が説明し終わると、満足そうに頷いた。
「結構。さっそく必要な人員をそろえましょう。決行は3日後」
「ちょ、ちょっと待て、いくら何でもそれじゃあ訓練している間がないだろう?」
驚きのあまり、少佐は慌て立ち上がった。
これだから素人は怖い。作戦を実行するには、綿密な計画だけでなく、遂行する人間が動けなくては成功しない。計画通りに動くためには、体に覚えさせるしかないのだ。
しかしヒプノスは余裕の笑みを浮かべている。
「あなたは軍人でこういった作戦のプロかもしれません。しかし私もプロですよ」
「あ…」少佐はその瞬間ヒプノスの言わんとしたことを理解した。
「V.I.か」V.I.ならば繰り返しの訓練は必要ない。——そしてそのためのプログラムにかかる時間が2日間、と言う訳か。そんな短期間でプログラムを仕上げるなんて、やはりこいつは天才だ。情報部がこいつを恐れる理由が分かるぜ。
「それはそうと、あなたの計画では他のアジトについて、何も触れていませんね」
と、いかにも今思い出したように、ヒプノスが言った。
「テストとしてはこれで充分だろう。
 レジスタンス全滅作戦を、俺に指揮しろと言うには早いだろう。
 俺はそこまであんたに協力すると入ってないぜ」少佐の言葉にヒプノスも頷く。
「確かにこの狭い世界では、たとえ逃亡しても私は全てを把握できる」
「ではこれで作戦が成功すれば、テストは合格か?」
「…ええ。」ヒプノスは再び頷く。しかし何だろう、何か嫌な予感がする。
こいつの微笑は何の意味が?
「では変わりに情報を…」
少佐が口を開いた時、ヒプノスは人差し指を自分の唇に当てた。
黙れと——?
少佐が言葉を続けられずにいると、ヒプノスは少佐に近寄りながら言った。
「あなたの仕事には感心させられますよ。出来ればこのまま私のスタッフになって欲しい」
そう言いながら少佐の背後に回り両肩に手をかけて、彼を壁際のディスプレイのひとつに向かい合わせた。
「しかしあなたは簡単に自分の主義を曲げない方だ。
 ——あなたのことは調べさせていただきました。素晴らしい功績をお持ちだ。
 そして、ますますあなたが欲しくなった。…どんな手を使ってもね。
 ごらんなさい」
ヒプノスに促され、少佐は目の前のディスプレイに注目した。
そこには少佐が最初にこの世界へ来た時のような、実験室が映っていた。しかしもっと規模は大きいらしい。ぼんやりとではあるが二人の人影が映っている。手前にいるのはヒプノスだ。正確には彼の身体(ボディ)…。
「あなたは私がどこにいるか、聞きましたね。今お答えしましょう。
 ——あなたの隣です」
映像がズームし、隣に横たわる人物がはっきりと映し出された。それは紛れもなく少佐自身だった。
「私はあなたを手に入れました。
 ——少なくとも“身体”は、ね。
 さて、あなたの“意識”はどうしますか?」

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15 hupokrisis-3

mission 15 【裏切-3】

「この野郎!!」考えるより先に手が出た。
しかし少佐の拳がヒプノスに届く前に、伯爵によって遮られてしまった。
「少佐!落ち着いてくれ!」
後から伯爵に羽交い締めにされ、動くことが出来ない。本物の伯爵ならば、容易く振り解けたろう。しかしこのV.I.はびくともしなかった。そんな少佐をヒプノスは面白そうに見ていた。少佐の怒りなど、全く気にしていないようだ。
「聞きしに勝る猪突猛進な方だ。ここで私の怒りを買うのは、良策とは思えませんね。
 …それに、元々ここに来たのだって、あなたの意志とは言えないではないですか。
 ゲームマスターが変わっただけで、あなたの立場は大して変わって無いと思いますが?」
「うるさい! 何だってお前らは、人の事をお構いなしなんだ!
 俺はゲームのコマじゃない! いい加減にしろ!!」少佐の怒りは頂点に達していた。
どうしてここまで俺をこけにしやがるんだ。ろくに何も情報を伝えず、俺をここに寄こした情報部を始め、マイヤーとヒプノス、そろいも揃って俺をいいように扱おうとする。そのくせ何もこちらには知らせない。ぺーぺーの頃だってここまでの扱いは受けたことがないぞ。
その時、少佐は怒りのあまり、重要な言葉を聞き逃していた事に気がついた。
「——ゲームマスターが変わっただけ?」
「そう。あなたのことを調べていて、気がつきました。
 あなたは私の弟に会っていますね。
 最近彼は、私から姿を隠しているようなんですよ。
 ですから、あなたを手に入れることで、彼がどう出るか見たいのです」
「あんたら…双子か?」
少佐はそうだと思っていても、あえて出さなかった疑問を、やっと口に出した。
実のところ少佐は、二つの可能性を考えていた。二人は兄弟か、もしくはヒプノスはマイヤーのV.I.だと思っていたのだ。
「そう。私たち二人が、この世界を創りました。
 ——尤も、情報部は私が一人だと思っています。
 もともとは私が情報部のために始めたことでしたが、
 情報部は私を裏切った。この世界を取り戻すために、弟の力を借りました」
「最初はひとり?なぜあんたの弟は、最初から協力しなかったんだ?」少佐は怒りも忘れ、聞いた。
「弟はこの実験に反対でした。今となっては、彼の危惧は正しかった。
 彼らはここを楽園どころか、牢獄にしようとした…」
ヒプノスはそこまで話すと、言葉を切って少佐の顔を見た。
「今はここまでにしましょう」
またか。少佐の明らかに不満げな顔に気づいたヒプノスは、もう一言だけ付け足した。
「ひとつヒントを差し上げましょう。
 弟のコードネームは“タナトス”です」
ヒプノスはこれ以上会話を続ける気がないとふんだ少佐は、アジトを後にした。
ヒプノスはもうひとりの名前がヒントだという。タナトス——神話ではヒプノスの双子の兄弟だ。ヒプノスは眠りと幻惑の神と呼ばれているが、タナトスが司るのは“死”だ。
その時少佐は、以前クラークが言った“お前…死人か?”という言葉を思い出していた。死んだはずの男、死の神…これはどういうことだ?


謎が答えられぬまま2日後、少佐の元にヒプノスから連絡が入った。
「明日正午ちょうど、作戦決行だそうだよ」伯爵が詳しい計画書をプリントアウトしながら言った。
「シミュレーションをするから、来て欲しい——だって」
「場所は?」
「いつもの司令室」
やはりそうか。シュミレーションといっても少佐の世界では、実物大のダミーを使ってやるものだが、ヒプノスのことだ。どうせ画面上で確認するだけだろう。しかし、捕らえようとする相手は、人間だ。行動には不確定要素が多い。それをどう計算したのだろう?

 司令室に着くと、少佐は早速その疑問をヒプノスにぶつけてみた。
「人間の行動を予測するためには、出来るだけ多くのサンプルを必要とします。その点ではこの世界は、元々戦闘シミュレーションから始まっているので、データは充分に揃っています。特に近年では対テロ作戦に重点を置かれていましたので、色々な場所やシチュエーションで繰り返し訓練を行っていたんですよ。ですから、今回の作戦の為のプログラムも、比較的短時間で組むことが出来たんですよ」ヒプノスは先生が生徒に教えるような口調で説明した。
 ヒプノスの言うように、確かにこのH計画は数年前からすでに進められていた。俺たちはまさか自分の手の内を開かすことになるとは知れず、せっせとサンプルを提供していたわけだ。
しかも今回のレジスタンス達は比較的年齢層が高い。経験値の高さは、パニックに陥る確率の低さとなる。不安定要素の少なさが計算を容易にしているのか。少佐は目の前に展開するシミュレーションに、簡単に意見を述べた。あまりアドバイスすることはなさそうだ。
 この作戦に、レジスタンス達の勝ち目はない。

 数時間後少佐は伯爵の待つ部屋へと一旦戻り、装備を調えた。ヒプノスはやんわりと司令室に残ってはどうかという提案をした。しかし少佐は現場へ行くことを望んだ。俺はこの世界の神になりたいわけではない。その結果を身をもって体験せねばならない。
 本来ならば作戦に備え、身体に休息を取らせなくてはいけない。しかし、少佐は一睡もすることは出来なかった。何度かマイヤー、もしくはアジトの誰かに連絡を取りたい誘惑と闘った。
 やがて、白々と夜が明け始めた。
「時間だ」立ち上がり部屋を発とうとすると後から伯爵が声をかけてきた。
「少佐」
「なんだ?」
「今更だけど…やめられないのかい?」
背後から聞こえる伯爵の声が、やけに心細げだ。
「ばかなことを」
伯爵が何を言いたいのかは分かる。
「相手はプログラムではない、人間なんだ」
「だから——だから俺が行くんだよ」
これは戦いだ。プログラム同士ではなく、人間の。

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16 Cost of Resurrection

mission 16 【代価】

それは夢の中の出来事のようだった。
レジスタンス達はまるでヒプノスの駒だ。自分が誘導されているのを気がつかず、次々とこちらの手に落ちていった。
ヒプノスは少佐の装着したヘッドセットを通し、状況に応じて指示を出す。シミュレーションと違った行動をとれば、即座に計算され直した指示が、少佐に伝えられる。
30分もしないうちに、作戦は終結した。こちらの被害は数人のV.I.が撃たれはしたが、深刻な被害はなかった。ヒプノスはある程度のレジスタンスを拘束すると、それで撤退の指示を出した。拘束されたレジスタンス達が、V.I.に連行されていく。その先に何が待っているのか、少佐はあえて詮索したくなかった。

この日、クラークもマイヤーも姿を現さず、少佐は心密かに安堵した。果たしてマイヤー/タナトスはこの事態を事前に察知していたのだろうか?
だとすると何かしらの反撃をしてくるかもしれない。

少佐がヒプノスの元に戻ると、彼は満面の笑顔で少佐を迎え入れた。司令室には珍しく数人の男女が待っていた。国籍も年齢もまちまちだが、それぞれが着用している軍服の階級章を見ると、ある程度の地位の者ばかりだ。これが部長の言っていた、寝返ったとされる情報将校達だろう。
「これで貴方も正式に、私のスタッフとしてお迎えします」
ヒプノスは少佐の肩に手をかけ、作戦室の中央へと向かった。
中央の席に座ると、隣に座るようにと身振りで少佐を促した。
「ちょっと待て! 俺はあんたの部下になるつもりはないぞ。
 ただ目的のために協力する、と言ったのを覚えているか?」
そういって少佐は立ったまま答えたが、ヒプノスはただにっこりと笑い、いすを指し示す。
少佐は根負けをして、どっかりといすに腰掛けた。
周りにいる男達もそれぞれが席に着いた。
「諸君、君たちの協力なしでは、決してここまでたどり着けなかったろう。
裏切り者の汚名を着せられ、それでも私に協力をしてくれた君たちには
なんと感謝したらよいかわからない」
そこでヒプノスは言葉を切り、周りを見渡した。
誰も口を開くものなく、ただ真剣な眼差しでヒプノスを見つめるのみ。
「いよいよ作戦を開始するときが来た。
後もう少しで我々は、彼らの動きをかなりの所まで封じ込めることができる。
その時初めて彼らは我々との交渉のテーブルにつくだろう。
この世界は実体がない。理想の世界にも、悪夢の世界にもなりうる。
我々はどんな事があろうとも、ここを守らねばならない」
少佐はヒプノスの話に混乱した。ちょっと待て?何の話をしているんだ?
少佐の表情を読みとったヒプノスは、少佐に向かって声を出さずに口を動かした
〈後で…〉
唇を読みとり、少佐は黙って頷いた。
ひとまずは話を聞こう。ここで何が起こっているのか、知らないのは自分だけらしい。何かが起こっている。そしてそれを知る彼らは、裏切り者の汚名を来てまでそれを阻止しようとしているのだろうか。
ヒプノスは一人一人の名前を呼び、指示を出していく。指示を受けた数人は、即座に席を立ち、退出していった。
ひとしきり指示を出し終え、最後に少佐の方を向くと一枚の紙を渡した。今回の計画の報告書だ。
「これを発表します。貴方も立ち会ってください」
そう言うとヒプノスは立ち上がり、少佐に身振りでついて来るようにと促した。
後には残った数人も続く。部屋を出て、一行はまだ少佐が足を踏み入れたことのない部屋へと入っていった。少佐は部屋に入ると、一瞬周りが見えないほどの光量に立ち止まった。少し目が慣れるとどうやらここはスタジオの中らしい。促されるままヒプノスの隣に腰掛け、カメラを向けられた。
カメラの赤いランプが点滅する。もう放送は始まっているのか。ここで今更姿を隠そうと逃げ出しても、もはや遅い。少佐は覚悟を決めて、カメラを見つめた。
ヒプノスは作戦の成功を報告し、残るレジスタンス達に投降を勧めた。


目の前のスクリーンに映る少佐の姿を、Aは信じられぬ思いで見つめていた。
少佐の表情からは何も読みとれない。
これが彼の意志なのか、それとも強要されたのか……。
「何故だ、何で少佐がヒプノスなんかと?」
ヴァルターはAの肩にそっと手を置き、言葉を探しあぐねている。
「アレクシス…こう言ってはなんだけど、よくあることなんだ。
私たちは今まで何人も、ヒプノスの元に行ってしまったのを見ている。
どんなに意志の強い者でも、ヒプノスには逆らえないんだ」
「そんな…そんなはずはないんです。少佐は誰よりも任務を遂行できる意志と力を持っているはずなんです!」
Aの必死の訴えにも、ヴァルターは仕方ないと言わんばかりに首を振るばかりだった。
このままでは納得がいかない。Aはいてもたってもいられずに、この場を後にした。
誰かが彼を止めようとしたが、ヴァルターがそれを制した。
「今はまだ、整理がついてないだけだ。しばらく一人にしてやれ」

少佐に会って話さなければ。
しかし少佐の居場所は依然わかっていない。今もまだ伯爵は一緒なのだろうか?
足は自然と最初に伯爵と出会った場所へと向かっていた。
夕刻となると、あたりは人気が全くなかった。もちろん、伯爵もここでは見つけることはできなかった。
仕方なく、あてどもなく周りを歩き続けた。
少し離れた場所に、明かりが漏れている。近づいてみるとどうやらパブらしい。
中から音楽や人の声が聞こえる。
奥のラウンジに一人で座っている金髪の男が目に入った。
「は、伯爵!?」
伯爵は自分をそう呼ぶ声に驚いて振り向いた。彼をそう呼ぶのは少佐だけのはずだが…
近づいてくる男には見覚えがあった。少佐がAと呼ぶ部下だ。
「やあ。確かAさん、でしたね」
にっこりと笑い隣の席を勧める伯爵の肩を、Aは乱暴につかみ、前置きなしに言った。
「伯爵!さっき僕はテレビ放送で少佐を見たんです。
しかもヒプノスと一緒に!」
“ヒプノス”という単語に、一瞬周りの人間の動きが止まる。
まずい。ここでこの名前を出すべきではなかったと、今更ながらAは声を潜めた。
「お願いです! 何があったのか教えてください!」
「困ったね。教えるなと言われてるんだ。だけど、少佐から伝言はあるよ」
「なんですか?」
「帰れ」
「え?」
いきなり何を言われたのかわからず、Aはぽかんとしたまま立ちつくした。
しかしその後に、それが少佐の伝言だと言うことに気がついた。
「そんな? だって少佐はこの世界で身動きがとれないんじゃないですか?
僕の助けは…せめて情報の交換くらいはできないんですか?」
伯爵は困ったように首を横に振るだけだった。
それでもAはあきらめずに伯爵を説得しようと、身を乗り出した。
その時Aに近づく者があった。
「今ヒプノスって聞こえたぜ。
ここでそんな名前を口に出すとは、よそもんだな。
しかもこのV.I.と一緒にいるって事は、おまえ、少佐の部下か?」
「クラーク?」
確か少佐は彼らののアジトを襲撃したのでは無かったか?
伯爵がAに注意を促そうとする間もなく、クラークはAの鳩尾に拳を打ち込んだ。
崩れ落ちるAを肩に担ぎ上げる。
「な、何をするんだ、下ろすんだ!」
伯爵があわててAを取り返そうと近づいてみると、クラークの右手にはいつの間にか銃が握られ、
ぐったりとしているAの腹に突きつけられていた。これでは手を出すことができない。
立ちつくす伯爵に、クラークは言った。
「こいつは連れて行く。少佐にあったら伝えとけ。
おまえの部下を預かったってな。これ以上俺をこけにすると、
かわいい部下がどんな目に遭うかってね。
返してほしけりゃ、少佐一人で来い。
あんまり待たすなよ。俺の気はそんなに長かねえからな」

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17 Cost of Resurrection02

mission 17 【代価2】

ーーー疲れた……。
結局今日もヒプノスは「計画」について何も教えてくれなかった。
『貴方には貴方の役目があります。そしてそれは私が指示を出すのでなく、貴方がその目で見て経験をした上で、決断して欲しいのです。もう少ししたら貴方は自分の見たものについての意見を私に聞かせてください。その時こちらも全てお話ししましょう』
帰り際にヒプノスの言った言葉の意味を、未だはかりかねていた。
少佐は重い足取りで部屋に戻ってきた。
「少佐!!」
ドアを開けるなり伯爵が駆け寄って来た。
そのただならぬ様子を見て、少佐は伯爵の腕をつかむと、有無を言わさずバスルームへと押し込む。
勢い良くシャワーの栓をひねる。これなら盗聴されていても、大丈夫だろう。
「何があった?」
「き、君の部下のAさんが……クラークに拉致された。
 少佐に話があるそうなんだ。一人で来れば、彼は傷つけないと伝えろと」
あの馬鹿もんが!!だから帰れと言ったはずだ。少佐は思わず頭を抱えた。
これが現実世界だったら、即刻アラスカ送りだぞ。……しかし普段のAならばこんなへまをする事はないはずだ。
少佐はひとつため息をつくと言った。
「いつ、どこに行けば良い?」


そのアパートはヒプノスの襲撃リストから外された中の、ごく小さなところだった。
おそらくはクラークの単独、もしくは少人数しかいないだろう。この件にタナトスは関わっているか?
奴のスタイルとは思えないが……。
部屋をノックすると、クラークではない若い男がドアを開けた。
無言で少佐と伯爵を奥へと促す。
「思ったより早かったな。ヒプノスの所に入り浸ったまま、帰ってこないんじゃないかと心配してたぜ」
クラークは部屋の奥にあるソファーに半ば横たわったまま言った。
Aは縛られるでもなくその横のいすに座っていた。だが殴られたのだろう、唇が少し切れている。
「…少佐、す、すみません」 
「大丈夫か?」
Aはゆっくりと頷く。そしてちらりと視線を右手の方に向けた。
少佐がその方向に目を向けると、小型の爆弾のような物がテーブルの上に乗っていた。
レジスタンスの他のアジトでも同じような物を見かけた。幸い使われる事はなかったが、こちらの調べでそれなりの威力は認められた。下手をすればこの部屋だけでなく、隣の部屋も無事ではすまないだろう。Aが動かなかったのも頷ける。
「確か俺は一人で来いと言ったはずだが?」
クラークはおそらく爆弾の起爆スイッチであろうリモコンで、伯爵を指した。
「あなた方にはV.I.である私は、人間と数えないと思ったのでね」
伯爵が肩をすくめていった。
クラークはそれに答えずふん、と鼻を鳴らし、少佐の方を見た。
「まあいい。本題に入る前にあんたに聞きたい。
 一体誰の見方なんだ?  情報部の任務ではない、と言ったよな。
 あんたにしては行動に一貫性が見えない。まるで巻き込まれている、って様子だ」
「その通りだ」
クラークは再びフンと鼻を鳴らす。少佐の言う事は全く信じていない様子だ。
「マイヤーの野郎は、あんたの事をほっとけという。
 ヒプノスがやった俺たちレジスタンスへの襲撃は、お前の本意ではない、と」
「お前の考えはどうなんだ?
 お前も見る限りマイヤーの部下とは思えない。
 お前の目的は何だ? なぜこの仮想世界に固執するんだ?」
少佐は前から疑問に思っていた事を口にした。
クラークは決してこの空間に望んでいるようには思えない。
少佐の問いにクラークはふとその表情を曇らせた。だが、答えようとはしなかった。
「俺は俺で事情があってここに来ている。
 今はあんたの問題から片付けていこうじゃないか。
 俺は確かにマイヤーの部下ではない。目的が同じだからレジスタンスにいたんだ。
 だが、あいつのやり方では間に合わない」
「なんだ? 間に合わないというのは。あんたは何を知ってるんだ?」
少佐の問いにクラークは黙って首を振る。
「忘れるな。今の主導権は俺にある。あんたのおかげで手足をもがれた状態だ。
裏切りの代価は……死だ」
「俺に死ねというのか?」
「馬鹿な、あんたを殺して何になる。死ぬのはヒプノスだ」
「簡単に言ってくれるな?  ハイそうですかと言って奴を殺せるならば、
 とっくに誰かがやってるぜ」
そういいながら少佐は部屋を歩き回る。何かを考えている風に見せかけ、さりげなくクラークの視界からAを遠ざける。それに気づいたAは、いつでも動けるように体制を整える。なんとかチャンスをつかんで、リモコンを取り上げなければ。伯爵もそれを察し、じりじりと入り口の方へ体を寄せる。
「だが、奴を止めなければ……もうすぐ始まる…
 奴がみんなを押さえたら、俺たちは止めるすべがない」
「——何を言っているんだ? おい、話せ! 何が始まるんだ?」
少佐は思わずクラークの肩をつかみそうになるが、クラークはリモコンをかざし牽制する。
「考えたことがあるか? この空間を維持するのに一体どのくらいの費用がかかるか?
 コンピューターシステムだけじゃない。 ここにいる人間たちだって、むこうでただ眠っているだけと思うか? その生命維持に一体どれだけかかるか?」
確かにそうだ。 少佐は最初このプロジェクトを単なるコンピューターのシミュレーションだと思っていた。しかしこの世界は違う……もしかしたらとんでもない事が起こっているのかもしれない。
「だが、たとえ何かを盾に取ったとして、ヒプノスの出す条件をのむと思うのか?どの国もテロには屈しないと言う姿勢を示すはずだ」
「テロじゃないさ。それにこれは公にされないだろう」
そう言いながらクラークは、窓の外を見る。その苦痛に満ちた表情の意味は?
「……俺たちには拒否できない…公表されたら身の破滅だ…」
クラークが何かを思いだしたかのように、眉間にしわを寄せ、首を振る…何かを振り払うかのように。
少佐はその機会を逃さなかった。
全身でクラークにタックルし、リモコンを持つ腕をすばやく押さえこんだ。
Aもそれに敏感に反応し、クラークのもう片方の腕を押さえ用としたその時——
入り口を蹴破り、数人の兵士たちが銃を構えて乱入してきた。伯爵は彼らに突き飛ばされ、部屋の外へ押し出された。
少佐たちがそこに注意を向けた一瞬の隙をついて、クラークが床に沈み込みリモコンのスイッチに手をかけた。
それを止めようとした少佐の腕は、届かなかった。
沈み込むスイッチが、少佐の目にまるでスローモーションのように映る。
少佐はとっさにAを抱え込むと、彼を下に床に伏せる。背中から耳をつんざくような轟音と爆風が、そして熱が押し寄せてきた。

——どのくらいの時間がたったのだろうか?
たぶん気を失っていたのはほんの僅かだろう。体が動かない。爆風で何かが落ちてきたようだ。
少佐はAの様子をうかがう。気を失っているようだが見たところ外傷はないようだ。
だが、この鈍い痛み…どこか遠くからのようなこの感覚は何だ?
やっとの思いで体をねじり自分の腰から下を見ると、崩れ落ちた壁と家具の残骸の下、奇妙にねじ曲がった自分の足が見える。ゆっくりと黒いシミが床に広がる。それが自分の血らしいと気づくのにしばらくかかった。
殆ど感覚がない……これはこの仮想空間のせいか?
「この世界で起こったことは、現実の体に影響する」伯爵の言葉がよみがえる。
その時、クラークの悲鳴が聞こえてきた。
立ち上る粉塵の向こうで、片目を押さえクラークが喚き散らしている。
自分の血を見てパニックを起こしているのか?
「俺はもう失うのはいやだぁあああああ!」
「しっ…かりしろ…クラーク?」声をかけるが、少佐自身、力が入らず声も切れ切れになってしまう。
クラークは一瞬少佐の方を見、その姿を見てヒステリックに笑い出した。
「はははは!!! あんたもか! 
せっかくこの世界で自由になったのに、もうおしまいだ!」
「な、何を言ってるんだ? とにかく…手当は受けられる…はずだ。落ち着くんだ」
その言葉にクラークは首を振る。
「あんたにも今にわかる…」
そう言いながら少佐が声をかける間もなく、爆風でガラスの吹き飛んだ窓から飛び降りた。
「な…何故だ…!?」
何が起こったのか? クラークは一体何に絶望したのか?
呆然とする少佐の下で、Aが目を覚ましたらしく、身じろぎをした。
倒れている兵士たちも、何人かがはうめき声を上げ、立ち上がろうともがく者もいる。
「少佐! 大丈夫かい?」
伯爵はドアの外にいたおかげで無傷だったらしい。
少佐の元に駆け寄り、体の上の瓦礫を払いのけながら、その様子を見て息をのむ。
Aも意識を取り戻し、現状に言葉を失っていた。
「しっかりしろ」少佐は茫然自失になっているAの頬を平手ではたく、はっとして我に返るAに向かい、少佐は言った。
「いいか、お前はすぐに帰還しろ」
「な?少佐をこのままにしていけません!!」
「馬鹿もん! お前にできることはここではない!
それよりもクラークの言っていたことを覚えているか? 何かが起きようとしているんだ。
おまえは帰れ。今すぐだそして、これから起ころうとしていることを突き止め、止めるんだ!」
だんだんと感覚が戻ってきたらしい、鋭い痛みが少佐を襲い、思わずAの腕をぎゅっと握ってしまう。
苦痛のうめきが漏れそうになるのを必死で押さえ、食いしばる歯の間から最後に一言絞り出す。
「…い、行け!!」
「少佐……どうかご無事で!」そう言いながらAはPDAを取り出し、操作をする。
Aの姿が光に包まれ、やがて輪郭が薄れ消えていった。
少佐に向かい敬礼をするその目に、光る物を見たような気がした。

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18 regain the lost regnum

mission 18 【奪還】

目の前がちかちかするおなじみの感覚。
誰かが“妖精国からの帰還”と呼んでいたのも頷ける。
Aは目を覚ますなり、周りの者がコードを取るのももどかしく、自分で乱暴に引きちぎり立ち上がる。
おざなりに服を引っかけると、部長の下へ急いだ。
「お、おいA待てよ!向こうで何があったのか説明しろ!」
背後でEの声がするが、Aは振り向くことなく通路を駆けだしていった。
「部長!」
秘書の制止も聞かず部長室へと入ると、部長は珍しく端末を眺め険しい顔をしていた。
「A君、君が無事で何よりだった。
 君の行動のトラックデータが、突然遮断されたので危惧しておったのだよ」
「わ、私は大丈夫です。それよりも少佐が……」
最後に見た少佐の姿が蘇る。あの足、ちゃんとあの後手当てしてもらえたんだろうか?
あんなに血が……もしあのまま……。
まずい、このままでは涙が。思わずぎゅっと目をつぶり、唇をかみしめる。
その時背後から両肩を支える力強い手を感じた。Eだ。Aの様子を見て、追い掛けてくれたらしい。
その力強さに元気づけられて、Aは経過を部長に報告した。
「部長、もしかしたら例の会議が標的ではないでしょうか?」
Aが報告し終わると、Eが背後から声をかけてきた。
「え、会議って?」
「ちょうど今、それについての資料をまとめていたところなんだ。
 今回のこともあって、仮想空間における国際協力と安全保証についての会議が行われることになったんだ。
各国外相または担当官が、仮想空間上で話し合うことになっている。これが成功すればこういった会議が移動時間を気にせず、安全に行うことができると、かなり力の入ったプロジェクトなんだよ」
「でも、もしそこでヒプノスが要人たちを人質にしたら?」
クラークの言っていた計画はこれに違いない。Aは確信した。
「しかしあくまでもバーチャルな会議だろ?
スイッチを切ってしまえばいいんじゃないか?確か強制帰還モードがあるし」
EはAが抱く危惧に納得がいかないと行った表情だ。
「ヒプノスならばそれを無効にすることもできるんじゃないか?」
「だが証拠がない」
それまで黙っていた部長が口を開いた。
「証拠があれば事前に各国に通達し、場合によっては会議は延期もしくは中止できる。だがそれがなければ我が国だけで止める権限はない」
「でも、今までのヒプノスの一連の行動について報告を見せれば?」
Aの問いに関して、部長は言葉を濁し腕組みをして黙ったままだ。
「まさか…ヒプノスの件は機密事項なんですか?」
クラークの言った“公表されたら身の破滅だ”というのはこういう事か?
「部長、何を隠しているんですか?
 このまま会議が行われてしまえば、どんなことが起こるかは火を見るより明らかなんですよ!」
「だが儂では権限がないのだ…」
Aは呆然と立ちつくすしかなかった。情報部においては情報はそのレベルにより厳重に管理される。自分も歯車の一部である限り、それを崩すことはできない。
ではこのまま手をこまねいているしかないのか?

部長の部屋を出たAは、前から歩いてきた男に誰かに肩をつかまれた。
「な?あ、カーンじゃないか!」
「ひどいな、気がつかなかったのかい?
 踊らんばかりに必死で手を振ってたのに」
カーンはやけに機嫌がよさそうだ。いつもコンピューターにへばりついている彼が、廊下とは言え情報分析室の外にでているなんて珍しい。
「ふふふ……僕が持ってるこのファイルが何か、聞かないのかい?」
「もしかして、情報が復元できたのかい?」
カーンはそれに答える代わりに、手にしたファイルをAに広げて見せた。
中には研究協力機関や出資者のリスト。国内外にわたっている。
そのほか数種類の書類、データベース……これは……!
「どうやら初期段階の資料らしいんだけどね。あとはこの情報を元にヒプノスの居場所やホストコンピューターの場所のヒントがあるかどうかだ」
カーンが得意げに先を続けようとするのもかまわず、Aは彼を誰もいない会議室に引きずり込んだ。
抗議の声を上げそうになるカーンの口を素早く押さえ、Aはカーンを座らせた。
「これから僕の言うことは、できれば内密にしてもらいたいんだけど?」
「話によるな」
「たとえばの話なんだけど、今度仮想空間での国際会議に、サイバーテロが入るかも…
 なんて噂が、出所が不明で参加者の耳に入るってことは……あったら大変だよね」
「そりゃ大変だな」
「でもそれって難しいよね。出所がわからないようにするのは無理だよね?」
カーンはAの言葉に明らかにむっとしたようだ
「おい、僕を誰だと思ってるんだ? まあ小一時間ですむよ」
そう言ってカーンは立ち上がった。ふとドアの前で思い出したように言った。
「そうそう、僕がここを歩いてきたのは、部長に相談があるって呼び出されたんだ
 “多少無理を言うが、向こうから会議に欠席したくなるような方法はないか”って」
「あ……」
思わずカーンの座っていた椅子にAは座り込んだ。
そうだよなぁ……。だれもこのまま手をこまねいていろ、とは言っていなかったもの。


Aが去った後、少佐は注意深く上体を起こした。もうもうと舞う塵のカーテンの向こうから、伯爵が駆け寄ってきた。
伯爵は一目で状況を把握すると、信じられないような力で瓦礫を持ち上げると少佐を引きずり出した。
「……少佐」
少佐は伯爵の声が震えているのに気づいた。
膝から下に鼓動と同じリズムで激痛が襲ってくる。
思わず歯を食いしばるが、意志に反してうめき声が漏れる。
「ああ、やばいな……感覚が…完全に戻ってきやがった」
こいつは伯爵じゃない。わかっているのだが、この顔の前で弱音を吐くのは死んでもごめんだ。
自分でも馬鹿な意地を張っていると、一人苦笑する。しかもヘタをすればこのまま……。
「……死なせない」
伯爵はそう言うと少佐の前にかがみ込み、手を足の上にかざした。
「な、何をして?」
少佐の問いに答えず、伯爵はただじっと目をつぶっている。
やがて伯爵の全身が光を帯びだした。
光はやがて少佐を包み、視界が光に奪われる。
上下の感覚もない。光はやがて閃光となり、少佐の視界は完全に奪われた。

一瞬気を失っていたのだろうか。

そして少佐は足の痛みが引いているのに気がついた。
それどころか……足は無傷のままだ。何が起こったんだ?
ふと目の前の伯爵が膝をついて、今にも倒れそうな様子だと気がついた。
そしてその足下に広がる血だまり…ばかな、傷ついたのは俺だ。
伯爵は荒い息で、のろのろと顔を上げる。
「君を直すことはできない。でも代わりに君の足の状態を僕のものと交換してみた」
「ば、ばかな!?何て事しやがる、おい、戻せ!!お前が死んじまうだろう!?」
少佐の言葉に思わず伯爵は微笑む。そっとその手を少佐の肩にかける。
あまりに弱々しいその感触に、少佐は動くこともできない。
その時、伯爵の体が、一瞬ゆらいだ。まるでテレビの画面のようなノイズが伯爵を包む。
「だ…だめみたいだ。書き換えはうまくいった…とおもう…でも、安定できない……」
伯爵の体がますます薄くなり、少佐は思わず伯爵の手をつかもうとするが、
その手はむなしく空を切ってしまう。
伯爵はまっすぐに少佐を見つめると、何かを言わんと口を動かしている。
しかしもうそれは少佐の耳に届くことはなかった。

少佐は部屋の中で、動くことができずにいた。
目の前に、伯爵いた痕跡は、何も残っていない。
僅かに少佐の肩に、手の感触だけが残っていた。

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19 king of fate

mission 19 【死の王】

少佐が一人部屋に戻ったのは、真夜中を過ぎた頃だった。
誰もいない部屋。
この喪失感は何だろう。
任務にとってはナビゲーターがいなくなることが不利だからか?
わかっている。あいつは人間ではない。
ただのデータだ。
元の世界に帰れば、最も見たくない顔でもある。
なのに
なぜだ……。

その時微かなノックの音がした。
「開いてるぞ」
音もなく黒い影が滑り込むようにして入ってきた。
「マイヤー、いやタナトスか」
「あなたは私たちを間違えませんね」
「少なくともヒプノスなら、俺を呼びつける」
そう言いながら少佐は、タナトスに身振りで座れと促す。
「すみませんでした。あなたが関わらなければ、傷つけることはなかったでしょう」
タナトスはいつものようなうさんくさい雰囲気はなく、本当にすまなさそうな口調で言った。
「俺は傷ついていない…あいつのおかげでな」
同情に満ちた視線に耐えられず、少佐は思わず目をそらした。
タナトスは立ち上がると、端末の前に行きスイッチを入れた。
「私、タナトスは死の王です。今日はあなたのために、少しだけ黄泉の国の扉を開けましょう」
コンピューターのディスプレーに人らしき影が映る。
やがて輪郭が明瞭になるにつれ、伯爵の顔を形作った。
「これ以上の安定は無理だ。どのくらいの間接触できるかわからないから
話は手短に」
そう言いながら少佐に椅子を明け渡した。
「少…佐…」
コンピューターから多少機械的だが伯爵の声。
「馬鹿もん…お前…」
時間がない、だが何を言えばいいのか……
「君を助けたかった」
「何故だ?」
「もし私がオリジナルならば『愛故に』とでも言うのだろう。
 もちろん私は本物の伯爵ではない。私が今までしてきた行動は、
 オリジナルの性格を元にするというよりも、今までの君との接触に置いて構築してきた。
 だが、私にはわかる。オリジナルがなぜ君を好きなのか。

 君は『リアル』だ。君の中の現実は、強い。
 そしてその力強い生命力は美しいと思う。
 オリジナルは言うだろう。美の前には自分の命すら投げ出す事もあろうと。
 それは少佐、君だからというのは大きい。しかしそれだけでなく生きている者を守りたい。
 人の生を通して、自分も生きているという感覚をつかみたかった。」
少佐は何も答えることができず、ただ画面を眺めるだけだった。
ディスプレイの中の画像は、かなり荒れている。だが伯爵の表情は微笑んでいるようにも見られる。
「私自身驚いている。これが“考える”ということだろう?
 いつの間にか私は望んだ物を手に入れていたらしい。
 それに、君も変わった。出会った頃の君ならば、私の話を聞いてくれなかったろうね?」
「だがお前は今…」
今は死んでいる?それとも何と言えばいいんだろう?
困惑する少佐の表情が見えたのだろうか、伯爵はくすり、と笑ったようだ。
「元々私はデータの集積にすぎない。貴方が気にすることはない。
 それよりも、最後に君に贈り物をあげるよ。
 今までこのネットワークは、この世界だけにつながっていた
 それを外の世界につなげてあげるよ。ただしヒプノスに見つかるまでかもしれないけれど」
画面のノイズがさらに強くなる。タナトスの方を見ると、彼は黙って首を横に振った。
「少佐……」
乱れる画面の中、伯爵がゆっくりと手を振る。
そして、画面は何も映すことのない暗黒へと変わった。
少佐は一息つくと、メーラーを立ち上げ情報部のアドレスを打ち込んでみた。
『A、その後の状況を報告せよ』
時間が同じ流れならば、もう夜中だ。だが程なく返事が返ってきた。
『少佐、よくご無事で。
 会議は中止。ホストコンピューターの位置と主要施設の確定進んでいます』
『了解。引き続き調査しろ』
『ご無事で…みんな少佐の帰りを待ってます』

通信が終わるまで、タナトスは黙って見守っていた。
「礼を言う」
「いや、こちらこそだ。
 ヒプノスを止めてくれたね?」
「ああ。
 ——ところで、そろそろ何が起こっているか
 話してくれてもいいんじゃないのか?」
「そうですね」
少佐はタナトスがあっさりと同意するのに驚きながらも、彼の正面に椅子を引きずっていった。
「話せ」
そして初めてヒプノスプロジェクトの全貌が語られることになる。

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20 Project Hypnos

mission 20 【プロジェクト・ヒプノス】

「私たちには小さな弟がいました」
そうタナトスは切り出した。
「体が弱く、外で遊ぶこともままならない子を、私たちは慈しみ、その子のためにと色々なプログラムを組みました」
「それがこの仮想世界のはじまりなのか?」意外な展開だ。少佐はしかしそれを声に出さず、先を続けろと仕草で促した。
「ええ。あの子が行きたいところを、できるだけ忠実に、そして自由に歩き回れるようにと作りました。
最初は喜んでくれて、色々行きたい場所もリクエストしてくれました」
「だがテレビゲームみたいなもんだ」しょせんは触れられない。ただの絵と変わらない。
そういいながら少佐は、一時もじっとしていなかった自分の少年時代をふと思い出していた。
「その通りです、すぐに飽きてしまい、それどころか余計に外への思いは強まるばかりでした。
さらに弟の体は徐々に弱っていきました」
「そこで“体験のできる仮想現実”を作り出したのか。しかし俺の見たあの生命維持装置、あれは個人でどうこうできるものではないだろう」
「ええ。ですからヒプノスはスポンサーを探してきたのです」

そしてタナトスが説明した経過はこうだ───
最初はヒプノスはフライトシミュレーターのような訓練用のプログラムもって軍に近づいた。
爆弾処理などの危険な作業を訓練するためのプログラムで、初めてヴァーチャルリアリティ装置を導入し、効果を上げたことをきっかけに、膨大な研究費を手に入れた。
そして少しずつ世界を広げ、かつデータの蓄積を重ねていった。
しかし兵士の訓練の為だけに、膨大の予算が下りるというのはおかしいと、ヒプノスたちが思い始めた頃、軍はある「提案」を持ち出した。
この仮想現実世界を本物と思わせ、ある人物を連れて行きたい、と。

国際法で拷問は禁じられている。薬物による強制的な自白などもだ。
しかし嘘発見器などの方法は、訓練された者には効果がない。
優秀なスパイを泳がせようとして逃げられる、そんな失敗を何度か繰り返したことから、軍は泳がす方法を変えることを思いついたのだ。
それがこの仮想現実世界。
捕らえられたスパイは、釈放されたと信じてどのような行動を取るか、ここならばつぶさに観察できる。
しかも決して逃げ出すことはできない。
さらに、この世界は「国」ではない。現実世界ではただ眠っているだけだ。
この夢の王国では「拷問」でさえも仮想なのだ。

そして極秘裏にヒプノスプロジェクトは発足した。
何人ものスパイたちがこの夢の世界に送り込まれ、そして軍は重要な情報を手に入れることができた。
もちろんこれはタナトスだけでなくヒプノスにとっても本意ではなかった。
しかし手を引こうとする二人を、軍はあらゆる手段を使って引き留めようとした。
プログラムは完成していても、この世界を知り尽くした二人にしか、完璧なシナリオが書けないのだ。
ほんの小さな矛盾から、たやすく人は異常を察する。
そして自分が閉じこめられているという事実に、耐えきれずに自らを傷つける者さえいた。
この世界で傷ついたところは、現実世界にも影響する‥‥その事実はこうした経験から得た情報だった。

タナトスはこの計画の中止を、再三ヒプノスに懇願するようになった。
この計画から手を引くだけでは、コントロールを失った混沌とした世界を残すことになる。
それならばいっそ自らの手で抹殺しないか、そうタナトスはヒプノスに提案し、一度はそれを了承したはずだったのだ。

そしてやがて弟はその短い生を終え、この世界を維持する目的はなくなった。
二人はこのプロジェクトから手を引くはずだった。


そこまで話すとタナトスはふっとため息をつき、外を眺めた。
窓の外には、墨を流し込んだような暗闇が広がるばかり。
風の音すらしない。
まるで真空の宇宙空間にぽっかりとこの部屋だけが浮かんでいるようだ。

「ヒプノスは手を引くと言ったのです。それを信じて私は自分たちの世界へ戻った」
「しかしヒプノスは戻らなかったんだな‥‥なぜだ?」
少佐の問いにタナトスはただ肩をすくめる
「さあ。研究を続けたかっただけなのかもしれません。弟という枷が無くなった分、自由に研究ができると。
そして膨大な研究費を手に入れるために、人質計画を思いついた」
「それが本気なら俺の目を見て話せ。何を隠してる?」
少佐の言葉に、タナトスの瞳がわずかに揺れる。
「かないませんね。でも、もうじきわかります。大丈夫、これはあなた方に影響を及ぼすような事ではありません」
そう言ってひっそりと微笑んだタナトスの横顔が、やけに頼りなげに見えたのは、この部屋の灯りのせいだけではない。少佐はそう感じていた。

その時、少佐は端末のメールアイコンが点滅しているのを見つけた。
Aからの連絡だ。
〈会議は中止。何者からサイバーテロ予告により、各国首相がアクセスを拒否したため〉
これで当面の危機は無くなった。
タナトスにもこの画面を見せると、ほっとした面持ちで少佐に頷いて見せた。
「あとはもう一度、ヒプノスと話してみてくれませんか?」
「俺ひとりでか? そろそろこのしょうもない兄弟げんかを終わらせろよ。
おまえさんが説得できないのか?」少佐の言葉に、ただ首を振るタナトス。
「彼は私のためにしていると思っている。私には止められない」
ふと、何かを思いついたようにタナトスの目が見開かれた。
「彼を止めるには簡単な手があります」
そう言って真っ直ぐな瞳で、タナトスが少佐を見つめた。
「あなたが私を殺してくれますか?」

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21 Project Hypnos2

mission 21 【プロジェクト・ヒプノス2】

平然と自分を殺せという男の顔を
少佐はまじまじと見つめた。
言葉を継げない少佐に向かってタナトスはにっこりと笑い
「冗談です」と告げた。
「彼が私という最後の肉親を失えば、何もかもを手放すであろうと思うのですが、
反面自暴自棄になってこの世界を恐怖で支配しないとも限らない」
「お前の兄貴はそんなに危ない奴なのか?」
まるでおもちゃを取り上げられてすねる子供のようじゃないか、ヘタに頭がいいだけに始末が悪い。
「そんなに悪し様に言わないでください。
彼は今まで多くを望まず生きてきました。望んだものはことごとく失われていったので、臆病になっているのですよ」
──ではお前は? お前もヒプノスと同じ時を同じ場所で生きてきたはずだ。
しかし少佐は何も聞かず、
「わかった。明日会いに行く」とだけ告げた。


「やってくれましたね。」
予想に反してヒプノスは上機嫌だった。自分の計画が目の前にいる少佐によって潰えたにもかかわらず。
しかもヒプノス自ら、少佐のもとに訪ねてきたのだ。
ヒプノスはまるで自分の部屋にいるように自然に椅子に腰掛け、少佐にももう一つの椅子を引き出し、座れと合図した。
「それにしても驚きでした。ああ、もちろんあなたが伯爵と呼んでいたV.I.の事です。
創造主の意を越えた行動をv.i.が取るとは思わなかった。
自主性を持たせたと言っても、ここまでとは」
人質計画のことはおくびにも出さず、話し出したのは伯爵が少佐を助けたことだった。
ここで話題を変えることもできず、少佐はひとつ気になったことを聞いてみた。
「その伯爵のことだが、もとのデータは残っているんだろう? 再生できないのか?」
「一応仮想とはいえ“人格”としてのプログラムですからね。それぞれの行動記録はバックアップがありますが、プログラム自体はただ一つのものです。あえて同じものを作らないようにバックアップは最低限しか取らないシステムにしていたのです。
個体のバリエーションを持たせるために、プログラムの条件をランダムに変えるようにしているので、同じプログラムはない。つまりは完全な再生は不可能ということです」
ヒプノスの言葉に、少佐は落胆を隠せなかった。その表情を見てふとヒプノスの表情が和らいだ。
「あの個体は消してしまうのは惜しい。もしかしたら新たな生命の祖となるかもしれない。
人工知能でなく人工人格としてのね。
完全な再生はできないでしょうが、やってみます。しかしあまり期待しないでください」
そう言ってにっこりと笑った。
それに対して少佐は何も言わず、ふっと息をつくと
「……もう良いんじゃないのか?」とだけ言った。
最初のきっかけの弟もいない、人質計画も潰えた。今回の件でこの世界を維持することに関しても、安全面での保証ができない限り、難しくなっただろう。
何も答えようとしないヒプノスに向かって、少佐は続けた。
「タナトスから軍が行っていた拷問や、偽装された環境下での違法な自白について聞いたぞ。
お前さんのことだ、お前が捕らえられば、情報を公開する準備はできているだろう。
誰もお前に簡単に手は出せない。
後始末をするという条件で、お前の安全を交渉することはできる。
ヒプノスプロジェクトは、爆弾だ。
おまえさんがうまく隠れ続けるならば、これだけでもカードは十分だ」
ヒプノスは不思議そうに少佐を見つめていった。
「あなたは私を助けようとしている……
なぜです?」
「俺の任務はお前を捕らえることだったが、結局のところこの事態を収束できればいい」
「即物的な答えですね」
「論理的といってくれ」
それを聞いたヒプノスはクスリと笑った。
「わかりました。
あなたに交渉をしてもらいたいと思います。
お帰ししますよ、あなたの世界へ。
しかしどのレベルまで話ができるかは、正直疑問です。
交渉に応じるより強攻策を取ろうとする者もいるでしょう。
そうなるとあなた自身の安全も不安です。お気をつけください」
そう言いながらヒプノスは、持参した小さな端末を、少佐のPCとつなげ、操作をした。
「安全? 俺はプロだ。それよりお前はちゃんと弟と会って、今後の話をしておけ」
まるで子供に説教をするような口調に、ヒプノスは苦笑する。
彼の口が開き、何かを言おうとしているのだが、少佐はいきなり光に包まれキーンと言う耳鳴りに似た音が頭の中に充満し、その言葉がなんだったのか確かめることができなかった

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22 A Real World

mission 22 【現実】

少佐が目を覚ましたのは、ヒプノスの基地で見た部屋の中だった。
当然ながら隣はもぬけの殻。周りに人の気配もない。
少佐はのろのろと起き出し、自分で装着されているコードや管を引きはがす。
ふと見ると、目の前のかごには着替えとディスク、そして車のキーがおいてあった。さらにご丁寧に今後の指示が書いてある手書きのメモ。(ということはだいぶん前からヒプノスはこれを用意していたと言うことだ)
さすがに用意周到だな。しかし俺が断るとは微塵も思ってないのか……
答えは自分自身よくわかっている。
立ち上がるときに奇妙なめまいを感じる。仮想空間で崩さなかったバランスが、現実世界で崩れるというのもおかしな話だ。しかし歩き出して原因がわかった、足の筋力が衰えているのだ。
考えてみたら数日間寝たきりだったんだよな。しばらくは寝る前のトレーニングの時間をふやさんといかんな。
そんなことを独りごちながら、少佐は車を情報部へと走らせた。

「少佐!!!」
情報部へ着くなり、数人の部下があわてて駆け寄ってくる。
後ろの方でGがそっと涙をぬぐったように見えたのは、気のせいに違いない……。
「よくご無事で! Aは先ほど帰宅しましたが、呼び戻しますか?」Cが気を利かせて聞いてくる。
「いや、いい。それより部長だ」
そういうなり少佐は部長の部屋へと向かった。
ノックの返事を待つのももどかしく、中に入った。
「おお!少佐、無事だったか!」
部長は少佐を見るなり席を立ち駆け寄って、少佐を抱きしめた。しまった。最初の勢いをそがれてしまった。
いつもならば突っぱねることが出来るのだが、今の筋力では思うように腕を伸ばせない。情けない事だが、ここはおとなしく、早く解放されることを祈るのみだ。
やがて、部長も気が済んだのか、少佐の肩をぽんぽんとたたき、少佐を解放した。
自分の席にどっかと腰を下ろし、お気に入りのマグカップから音を立ててコーヒーをすすった。
「君が行方不明になってからの報告は聞いてるかね?」
「いえ、しかし大まかのことは把握しています。この後詳しい報告はさせます」
「では、君がここに来た理由は、報告ではなさそうだな」
「ええ。こうなったらもう、部長にはすべて話してもらいますよ」
そういって両手を机の上につき、部長の顔を正面から見据えた。

「まずはこれをご覧に入れたかったんですよ」
少佐が目覚めた時、傍らにDVDディスクが置いてあった。その中には仮想空間でのスパイたちへの「尋問」の様子が映っていた。
「これが公表されれば、どういう事になるか、わかっておるんだろうな」
部長は映像のさわりの部分を見ただけで、落としてしまった。
その嫌悪にこわばった顔をみれば、部長がこれに関しては全く門外漢だったことが伺える。
「少佐、この件に関しては、恥ずかしい話だが『仮想空間内での心理的影響についての実験』としか報告を受けていなかった。
このH計画については、独自のネットワークでつながっているプロジェクトチームが主導権を握っておったのだ。だが、会議が中止になったとたん、チームが情報部にも事実の報告の上、情報の漏洩を食い止める協力をしろと言ってきた」
そう言いながら部長は数枚のプリントアウトを差し出した。
「なるほど。これで彼らがヒプノスに寝返った理由がわかりましたよ」
少佐は最初の数枚を眺めただけで、その『心理実験』に何も知らず参加させられた情報将校たちの名前を見つけることが出来た。ヒプノスに「寝返った」とされていた者たちだ。
「尋問を受けたのは、なにも敵対するスパイだけではなかったのですね」
「ああ。組織に対しての忠誠を疑われた者、また思想的に問題があると見なされた者を、仮想空間に送り込みテストしていた」
部長はそう言いながらコーヒーにさらに砂糖を2個3個と入れ、苛ただしげにかき回した。
「どんなテストだったかは聞きませんがね、彼らにとってはかなりの苦痛を伴ったでしょうな。
そこをヒプノスが『救った』んじゃないですか?」
「そのとうり。しかもヒプノスはその計画の全容を、将校たちに伝えたに違いない」
忠誠を疑われた者の取る態度は、ほぼ二つに分かれる。
信用を取り戻そうとひたすら努力する者と
自分自身のアイデンティティがゆらいでしまう者だ。
今回の場合は後者が殆どをしめたのだろう。
しかも相手は妙に説得力のある二枚舌野郎だ。
(そう言いつつも、俺もまるめこまれつつあるのだが)
少佐は紙束を机の上に投げ出すと、代わりにもう一枚のディスクを取り出した。
「情報戦ではヒプノスに分があります。いまさら隠蔽することは非現実的です」
「ではどうすればよいのだ? まさか記者会見を開けとでも」
部長は頭を抱え机に突っ伏してしまった。腕の間から上目遣いで少佐を伺う。
たぬきめ、こちらが言い出すのを待ってやがる。少佐はディスクを部長のコンピューターに挿入した。
その中のテキストファイルを起動させながら説明した。
「ヒプノスの提案はこうです。
仮想空間のためのOS・基礎プログラム等についてはそのソースを公開する。その代わりにNATO加盟諸国及び関係諸国代表者による超国家プロジェクトチームを作り、仮想空間内での国際ルールの確立を計ること」
テキストファイルにはプロジェクトチーム候補として、各国の技術者から識者、あらゆる専門分野のリストがあがっていた。
さらに別のファイルには、規定を組むために必要と思われる条項のリストも入っている。
あの野郎は片手で俺たちをひねりつぶそうとしておきながら、もう片方の手ではみんなを守る楯をせっせと作ってたわけだ。
あいつは双子といっていたが、実はもう一人くらい隠してるんじゃないだろうか。
部長はファイルをざっと見ると、しばらく何かを考えていた。
「しかし、プロジェクトチームを作り、国際規定を作った上、運営が出来るようになるまでにどのくらいかかると踏んでいる? その間あの仮想空間は野放しか?」
「いいえ。彼はすでに仮想空間の殆どを閉鎖するように動いているはずです」
単に俺たちのアクセスを拒否するのか、それとも本当に閉鎖するのか、それは少佐にはわからない。
全てを閉鎖することは出来ないとヒプノスは言っていた。
それはなぜなのか
「最後はタナトスが決める」
少佐へのメモはこの言葉で終わっていた。
神経質そうな細く、丁寧な文字で。

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23 In this kingdom by the river 1

mission 23 【河の畔の王国で】

仮想空間での国際会議が中止となり、Aたちはいったん解散させられた。
しかしまだ少佐の行方がわからない。捜査を続行しようとするAに対して、部長は珍しく強硬な態度で、帰宅を命じた。
「今の君に必要なのは、十分な睡眠だ。もし承伏しないのならば、薬を使ってでも休ませるぞ」
脅しではないとばかりに、部長の後ろにはドクターと看護士が控えている。手には注射器。
降参のしるしに軽く両腕をあげて言った。
「わかりました。でも、明日は定時に来ますよ」
「うむ」

Aが帰りはUバーンを使って帰ろうと、駅に向かって歩き出した時、後ろからカーンが声をかけてきた。
「家まで送りますよ」車の鍵をぶんぶんと振り回すカーンの左手には、不自然なほどの荷物。
どうやらカーンはウィンクしているつもりらしい、妙にくしゃくしゃになった顔にむかって、軽く頷く。
カーンの後について駐車場に行くと、そこには見慣れぬ中継車のようなバンが置いてあった。
ドアを開けると車内にはコードが所狭しと床を這い、スチール製の棚にいくつものモニターが並んでいる。
方眉を上げて無言の問いかけをするAに、カーンはしらっとした表情で
「大丈夫。これはプライベートな車です」と言った。
プライベートでこんな車に乗ってる君って……

そんなAの様子をおもしろそうに眺めながらカーンが言った。
「少佐の件はまだ調査中ですが、ちょっとおもしろいことが起こったので知りたいだろうなと思ったんだ」
そう言いながらカーンはキーボードを引っ張り出すと、どこかのアドレスを打ち込んだ。
「今日は次々と接触できるアドレスが接続不可能になっていって、みんなプチパニってたんだけど、やっと落ち着いたみたいだからここは大丈夫。」
それは最初に部長から見せてもらった、仮想世界を見ることの出来る「窓」のようだった。
「全くさ、灯台もと暗しとは日本の人はよく言ったものだよ」
何を言っているのかAにはよくわからないが、とりあえずうなずきながら先を促す。
「ハッカー仲間の間で、話題のサイトがあったんだ。
最初は新しい開発中のネットゲームだとおもった。
ただちっともクールじゃないんだ。萌えな女の子はいないし、派手なアクションで戦えるわけでない。ただリアルなだけ。
仲間は何とかその世界に入ろうと、色々手を尽くしてみたわけ。
ところが全く歯が立たない。でも、そのときゲームマスターを名乗る男から接触があった」
「まさかヒプノス?」
「……と、思うんだ。何しろそう天才は転がってないからね」
悔しいが僕ら十人がかりで彼一人分だよ、とカーンはぶつぶつつぶやいている。
以前はヒプノスを任そうと躍起になってたのに、いまやすっかり彼のシンパか?
「まあそのヒプノスらしき人物が、そいつをゲームに誘ったんだ
みんな夢中になったよ。どこまでリアルな世界を作れるかってね。
そしてこの世界をよりリアルにするためのディスカッションをするためのフォーラムを開いたり、けっこう楽しく遊んでたわけ。
さらにセンスの良い奴なんかは、渓谷とか水辺とか、綺麗な風景をデザインしたり。自慢の世界だったんだ」
話を聞いていくうちに疑問が持ち上がっていく。
「なあカーン、へんじゃないか? この世界の本来の目的はシミュレーションだ。風光明媚な風景は必要ない。別人じゃないのか?」
「そう。そうおもったんだけどね……
ある日……つい最近だけど、彼から連絡があってこのゲームは買い手がついたので、いったん終わらせるって。それで関わってた連中には結構な額のお金が振り込まれた。
それ以来わずかに残った観察ポイントのこしてドロン」
「逃げられちゃったわけ?」
「ばかな!このままではすまないさ。
僕らはアドレスをたどって、その発信場所を突き止めた。
いくつもの国やネットワークを経由して、足跡を消したつもりだったろうけどね。言ったろ、僕ら十人がかりでヒプノス一人分って。
人海戦術でなんとかそれで突き止めた場所が…」
「僕たちの見つけたポイントだった」
「ご名答」
そう言いながらカーンは運転席に乗り込み、エンジンをかけ始めた。
「先ほどからアクセス速度が異常に遅くなってる。サーバーに負荷がかかってるのか、何かが起きてる。間に合うかどうかわからないけど行ってみよう」
「え? 今??」
「そう。何せ見つけたのはちょっと特殊な場所なんだ。こっそり見に行くだけだよ——河の畔の王国へ」


少佐は改めてヒプノスがくれたデータファイルを見ていた。
こうしている間にも次々と仮想世界との接触が途絶えていく。が、これを止められる者はいないだろう。彼に出来るのは、ヒプノスの与えたヒントを読み解くことだけだ。
ヒプノス計画の主要メンバーリストを見ていると、情報部はもとより科学・環境問題局や特別委員会などが関わっている。
ヒプノス計画は軍事目的以外にも使われているんじゃないか、そんな疑問が少佐の頭に浮かんでくる。しかし何のために?
さらに会計報告等を見ていると、生命維持に膨大な金額が費やされている。確かに長い間、人間を機能を損なうことなく眠らせ続けるのは費用がかかる。
よくよく調べると人工呼吸器や人工心肺など延命装置がある。
仮想世界ではそこで起こった事故、けがは現実世界に影響する。
ではその逆は?
少佐はクラークの事を思い出していた。クラークが少佐に「お前も死人か」といった言葉、あれはもしかしたら……
さらに資料の中に外部にわずかながら出資者がいることがわかった。
大手製剤会社から医療機器メーカー、財閥系の企業など。
なぜだろうか、タナトスが関わっているという気がしてならない。
もう一度ヒプノスと話がしたい。

少佐が席を立とうとすると、いつの間にか部長が部屋に入ってくるのが見えた。
「少佐、まさかと思うが、これ以上の単独行動はいかんぞ」
部長はこんな時だけ勘が鋭い。むっつりと黙っていると部長は少佐の肩に手を置き(やめてくれといつもいっているのだが)いつになくまじめな声で言った。
「どうやら君の提示したヒプノスとの交渉案に、難色を示す者たちがいるらしい。最悪何か行動を起こすかもしれんのだ。くれぐれも仮想空間へ戻ろうなどと考えないでくれ」
だがヒプノスと話すには、仮想空間へいかねばならないのだ。
先ほどヒプノスから密かにメールが送られてきた。
「わかりました。今日は帰ります。さすがの俺も疲れましたよ」
まだ疑わしそうな表情の部長を後に残し、少佐は情報部を後にした。

少佐の携帯に送られてきた送り主不明のメール。
ただ座標だけが書かれていた。
どうやらボンの北、ライン川にほど近い場所だ。
そこに行けば何かがわかるのだろうか?
少佐は無言で車を走らせた。

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24 In this tomb by the river

mission 24 【奥津城にて】

河面を渡る風が心地よい。
夜気にのって密やかな虫たちの声が聞こえてくる。
「大丈夫か」
背後からそっと声がかけられ、肩に上着がかけられる。
両肩に暖かい手の重みを感じながら、振り向くことはせず声をかける。
「やっと声をかけてくれたね。
君はずいぶん長い間私を避けていた。
私以上に君は恐れている
私の——」
その言葉を遮るように、肩にかけた手に力がこもる。
そして会話を遮るように言葉を重ねてきた。
「これで良かったのか?」
「ああ。少なくとも君は私の所に戻ってきた」
そうやって振り向いた顔は、穏やかに微笑んでいた。
「一緒にいてくれるだろう?」
その問いに小さくうなずく。そしてそっと後ずさると言った。
「その前に、もう一度少佐と話をしてくる」
「私もいこうか?」
「いや、私が帰ってきたら、もう一度話をしよう。
悪いがモニタリングを頼む。
彼を万が一でも傷つけることの無いように」
「君が私以外の心配をするとは思っても見なかったよ」
来た道を戻る彼の背中に、そっとつぶやく。
彼が去った後も暫く河面を眺めていたが、夜気の冷たさに身震いをすると、自分も戻ろうと歩き始めた。


「うわぁ……これはあんまり夜に来たい場所じゃないね」
Aは車を降りると首をすくめた。
「少なくとも僕らの邪魔はしないぜ、彼らは」
カーンは事も無げにすたすたと歩いていく。
「邪魔されたらもうたまんないよ……
よりによってなんでお墓にきたんだい?
まさかヒプノスはユーレイって言う落ちじゃないよね?」
カーンに置いていかれてはたまらないと、あわててAは後を追った。
カーンに連れてこられたのは、墓地だった。ライン川を望む高台にある、昼間ならすばらしい風景の場所だろう。こんな場所にお墓を建てるなんて、どこかの金持ちの私有地か何かなんだろうか?
広大な敷地にはこった彫刻のような墓標が転々と立っている。
夜気に乗ってバラの香りがする。
「さあ、あそこだ」
カーンが指さす先には、別荘とおぼしき建物がある。
「19世紀の英国ではさ、人々がお墓でピクニックをしてたんだ。ある家族なんかは納骨堂で正装してパーティーをしてた。
蝋燭の明かりをともして人々語り合う。ブラム・ストーカーはそのパーティーの様子を見て、ドラキュラのヒントを得たとも言われている。
この土地の持ち主はイギリス人でね。英国式庭園にこうした奥津城を造ったって訳だ」
「それとヒプノスがどう関係あるのさ?」
「ここの持ち主が変わってから、ここはある財団に売却されて、いまは関係者の療養所として使われてるんだよ。
で、その財団がヒプノスの研究のスポンサーだ。
そしてここは医療施設がそろっている。しかも並じゃない設備がそろってるらしいよ」
「ヒプノスの仮想世界へのダイブポイントがあるというのかい?」
「むしろここが本拠地じゃないかと思うんだ」
カーンがあまりにさらっと言うので、危うく流してしまいそうだった、
Aはあわててカーンの腕を取り、引き戻した。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!
そんなところに二人して、しかも誰にも知らせないでのこのこ出かけていくって、どういうつもりだよ?」
「いや、たぶん入れてくれるんじゃないかなと」
「はぁ?」
一体全体何が言いたいんだ?もともとカーンは頭の回転が速すぎるのか、話の途中をすっ飛ばして、最初と最後しか説明しない事がある。
「うん、ここをどうして突き止めたかって言うとね、向こうから接触されたわけだ」
「え、えぇ?」
「少佐を守れって」
簡潔だ。しかしそれはこちらは願ってもない。
Aは頭を抱えつつ、ため息をつくと言った。
「わかったよ。説明は後でみっちり聞かせてもらう。
報告書も書いてくれよ。
今は少佐の安全を確認するまでは、情報部に連絡を入れるのも危険かも知れない」
それを聞くとカーンは大げさに敬礼すると、足早に屋敷の方へ歩き出した。
気がつくと入り口に人影が立っていた。
柱に寄りかかるその男の顔が、近づくにつれてはっきりと浮かび上がる。
「ヒプノス?」
この顔は、今までどうして忘れていたのだろう。Aが仮想世界で見たプロパガンダ放送で、画面の中心にいたのはこの顔だ。だが生身で見る彼は、大分印象が違うようだ。
「いいえ、もう一人の方ですよ」
Aとカーンは顔を見合わせた。ヒプノスが二人いるというのは、当たっていたのだ。
「どうぞ私をタナトスと呼んでください」
そう言ってタナトスは二人を中へ招き入れた。
「ここが私の……タナトスプロジェクトの中心部です」

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25 Project Thanatos

mission 25 【プロジェクト・タナトス】

少佐が指示された場所到着したとき、あたりに人の気配はなかった。
確かに指示された座標はここを示しているが……こいつは悪趣味だ。
しかしこのまま立ち止まっているわけもいかない。意を決して少佐は納骨堂の扉を押した。
中は思いの外乾燥していた。
中にはダイブ用の装置、モニターや各機器は稼働中だが人の気配はない。
よく見ると椅子の上にメモがある。
取り上げてみると装具の付け方が書いてある。
自分で何とかしろと言うことか。
ぎこちない手つきで何とか装置を装着し終えると、メモに指示のあったとおりに手元にあったボタンを押す。
そして暗闇が訪れるまで数秒しかかからなかった。


少佐が目を覚ましたのは、殺風景な部屋の中だった。
ふと気配を感じて起き上がると、そこにはヒプノスが腰掛けていた。
「おはよう」
「何がおはようだ!」
「私としては、新しい目覚めの時だと思っているんですよ」
少佐の不機嫌な様子を全く意に介さないで、ヒプノスは一杯のコーヒーを差し出した。
少佐は仕方なくそれを受け取ると言った。
「で、交渉はうまくいきそうか?」
「ええ。こちらの最低条件をのんでくれさえすれば、殆どの施設や機器、そしてこちらのスタッフ協力を譲渡します」
「その最低条件とは何なんだ?」
「まずは将来的に、仮想世界をコントロールするための安全装置を組み込むことを、同意してもらいます」
そう言いながらヒプノスは、いくつかの条項が表示されている画面を、目の前に大きく映し出した
仮想世界での被験者が、精神的にダメージやストレスを受けた場合、直ちに現実世界へ強制移動させることなど、本人の意志に反して閉じこめられることのない様なシステムに移行させるというのだ。
「もちろん訓練に使用する場合、全くの緊張やストレスを感じないわけにはいきません。しかし皮肉なことに彼らの行った“拷問”における精神状態の記録があります。それを基準にガイドラインを作成しました」
なるほど、リミッターをつける訳か。
しかしどうも腑に落ちない。
ここは正直に本人に聞くしかないと、少佐は口を開いた。
「しかしどうもわからんぞ。リミッターくらいならあんたが勝手につけることもできたろう? その程度のことで国家どころか世界を相手に誘拐事件を起こそうとするとは、とても思えないんだが?」
ヒプノスはその問い答えず、暫く無言でうつむいていたが、やがて意を決したように顔を上げていった。
「そうですね、もうお話しましょう。
こちらで進めていた別のプロジェクトがあるのです。
それを民間に譲渡し、存続させること。それが私の一番の条件なのです。それには移行させるまでの費用や安全を保証してもらいたいのです」
そこまで聞いて、少佐はヒプノスから渡された報告書の内容を思い出した。
「たしか、費用のかなりの部分に、生命維持装置などの経費が入っていたな」
それを聞いてヒプノスは驚いたようにまじまじと少佐を見つめた。
「……参りましたね。その通りです。
私の、いや私たちの最後の計画は……」
そこまでヒプノスが口を開いたところで、少佐は耳障りな雑音が、自分の周りを取り巻くのを感じた。
「な…なんだこれは!?」
雑音はやがて耐えきれぬほどの音量と化した。そして少佐は自分の体にまるで稲妻のような青白い光が取り巻く。
「少佐、まずい、誰かがあなたのダイブポイントに外的攻撃を仕掛けているようだ!」
そういうとヒプノスは、素早い動きでキーボードを操作し始めた。
目の前のスクリーンには滝のような早さで、数字や文字が流れている。
「接触が切れる前に、あなたを戻さなくては、さもないと…」
少佐はもはやヒプノスの言葉を、最後まで聞くことは出来なかった。

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26 Project Thanatos 2

mission 26 【プロジェクト・タナトス 2】

「これが…タナトスプロジェクト?」
タナトスに案内されて部屋に入るなり、Aは言葉を失った。
奥行きのある部屋には、所狭しとベッドが並び、その上にはシーツに隠れているが、明らかに人の形があった。
そして何本ものチューブやケーブルがその人たちから繋がり、床に無数の蛇のようにのたうっている。
「病院なのか、ここは?
なんで…うっ!」
カーンがおそるおそる一番近くのベッドに近寄り、覗き込むなり短い叫びをあげて後ろに飛び退った。
「こ、こいつらは生きているのか?」
カーンが思わずAの後ろに回り、肩口にしがみつく。
何をそんなに驚いているのかと、Aも同じように覗き込んだ。
カーンの驚きから、ある程度の覚悟はできていたのだが、それでも息をのむ。
無言でタナトスの方を向き、もの問いたげな目を向けると、タナトスはわかっていると言った様子でかるく頷いた。
「ええ。彼らは皆生きています。そしてあの仮想世界の住人のかなりの部分を占めているのです」
そういいながらタナトスはベッドの間を縫うようにゆっくりと歩き、時々シーツをめくりあげては横たわる人々の様子を見ている。
そこに横たわる人々は、おそらく軍人であったろう、年齢も様々な男たちだった。
ある者は顔に大きなやけどの跡があり、ある者は身体の一部が欠損している。
「私が死の神と言われる所以は、もうお分かりでしょう。
ここにいる軍人の大半は記録上「死亡」している者たちです。
もともとここは、機密作戦で負傷した者たちを、治療する病院だったのです。
意識の戻らない負傷者から、作戦の様子を聞き出せないか……要は意識があれば良い。
そこで仮想世界でなんとか彼らの意識をとらえようとしたのが、このプロジェクトの始まりです」
「彼らはじゃあ意識が戻らないままなんですか?」
Aの問いかけにタナトスはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、大半はある程度治癒されれば目覚めるはずでした。ある者は目覚めぬまま、数日から数ヶ月で息を引き取ります。だがある者は意識が回復した後に、再び仮想世界へ戻る事を希望したのです」
なぜと問いかけようとして、Aは横たわる人々を再び見つめ、思い当たった。
「もしかして、仮想世界では彼らは健康な生活を営めていたのではないですか」
Aのその言葉に、カーンも遅まきながら気がついた。
「仮想世界では、そこで傷ついた場合には、現実世界でも影響があるのですが、実はその逆は全く違います。
仮想世界へとダイブする時、身体特徴についてはすべて健康な状態で再現されます。後天的要素を加えるよりもその方が容易いと言うのが理由ですが、身体が不自由になった者にとっては、失った物を再び手に入れる事のできる唯一無二の場所となったのです」
そうか、ここでしか生きられない者たちだからこそ、レジスタンスになったのだ。(もっとも彼らはヒプノスたちに逆らう危険性については、全く考えが及んでなかったのだ)
「そうした者たちを、現実世界へと戻すのは簡単でしたが、私もヒプノスも不確定要素がこの世界に与える影響を知りたかった。すべてを排除して不毛の世界にしてしまうより、時間をかけて王国を築きたかったのです」
「だが軍はこの世界をあなたたちのものにしておく気はなかった」
Aは仮想世界で出会った人々の事を考えた。研究者たちの思惑と、軍の考え方は全く違っていた。
それはこの世界を翼とするか、檻とするかというほどの隔たりだ。
「しかし私達の力だけでは、到底軍に太刀打ちはできません。いろいろと協力者を捜しているうちに、データベースから理想の人物を見つけたのです」
「それは……少佐の事ですか?」
「ええ。彼の実績を見ていると、柔軟性や臨機応変な対応が抜きん出ているだけでなく……」
そこでタナトスが意外にもうっすらと微笑んでいる。
「彼の周りによく現れる謎の人物、マイナス要素としか思えない者をも排除する打でなく協力させる度量の大きさはとても興味深かった」
謎の人物とは言われるまでもなく伯爵の事だろう。たしかに少佐は伯爵を嫌っている事は確かだが、他の者に対してときに少佐が行う非情な手段を伯爵にはとらない。
これを友情や愛と言ったら、間違いなく僕はアラスカ送りだな……Aは少佐の激怒した顔を想像して、思わず首をすくめてしまう。
そこでタナトスはふと腕時計に目をやり、言った。
「そろそろその少佐が、こちらに来ている時間です。今ここの敷地内にある別のポイントで仮想世界にダイブして、ヒプノスと会っている頃でしょう。会見はそんなに長くはかからないと思います。別の部屋で彼が戻ってくるのを待ち、これからの事を話し合いたいと思います。
この重苦しい雰囲気の漂う部屋に長居をしたくないAとカーンは、思わずほっとした顔をしてタナトスの後に続き部屋を出た。

その時、廊下の向こうからビープ音の様なものが聞こえてきた。
それを聞きタナトスはその音のする部屋に向かって走り出した。
「たいへんだ、誰かが外部から侵入したようです!
もしここのコンピューターが損傷を受ければ、少佐が危ない!」
窓の外からかすかに爆発音が聞こえた。
「外にケーブルが埋まってないか?」
カーンがタナトスに追いついて聞いた。
「ええ。奥庭にあるダイブポイントとこちらのコンピューターをつないでいます。
まさかそれを爆破したと?」
「内部に侵入できなければ、外的攻撃が手っ取り早いからだ
僕はそっちの爆発音の元を調べる、そっちは頼む!」
カーンはきびすを返し外へと走り出していった。
Aがとタナトスがその音の鳴る部屋に飛び込み、タナトスは端末に素早くコードを叩き込む。
「仮想世界のどこにも少佐は存在しません。
無事にこちらに戻ってきているのでなければ……」
そういってAの方を振り向いたその顔は蒼白だった。
「少佐は仮想世界とこちらの世界の狭間で、なす術もなく漂っているかもしれません」

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27 perpetual darkness

mission 27 【永劫の闇の中】

—— ここは何処だ?
自分の目が見えないのか、暗闇なのか……全くの暗闇だ。
自分が浮いているのか、泥の中に埋まっているのかも分からない。
体がひどく重い様でいて、全く感覚がない。
ヒプノスの慌てた様から、おそらく自分と仮想世界の接触が何らかの方法で断たれたのだろう。
「くそっ!」
自分の意識がどこかに飛ばされたのか?
ヒプノスが俺を見つけだし、無事救出してくれない限り俺はどうなる?
永劫の闇の中、一人取り残されたままでは気が狂う。
いや、いっそその方が幸福と思う時が来るか?
考えろ!何か自分に出来ることはないのか??
落ち着け!
少佐は深呼吸をしようと息を吸い込んだ……つもりだった。
しかし肺が空気に満たされる感覚は、全くなかった。


Aがタナトスと共に納骨堂に入ると、あたりは静けさに包まれていた。
うっすらとモニターの灯りに照らされて、少佐の横たわる姿が浮かび上がる。
「モニターが着いているということは、少佐は無事…」
Aの言葉が終わらないうちにタナトスは首を横に振った。
「非常用の電気に切り替わっています。
しかし物理的に接触が断たれた場合、回路が復旧しない限り少佐の意識を戻すことが出来ません」
Aが薄明かりの中、少佐を見下ろすと、少佐はただ深い眠りの中にいるように見える。
呼吸は規則正しく、そっと手に触れてみると暖かい。
「少佐?少佐!聞こえませんか!?」
耳元で呼んでみるが、Aの呼びかけに何の反応も見せない。
Aは思わずその場にへたり込んでしまった。
しかしこんな時こそ冷静になれといつも言われている。
必ず手はある。
考えるんだ。

その時カーンがすすに汚れた顔で入ってきた。
「どうやら少量のプラスティック爆弾のようなものをケーブルに仕込んだようです。
たいした損傷はないので、応急手当なら出来ます」
そういえばカーンの車の中には、機械だけでなくケーブルや工具がびっしりと詰め込まれていたのをAは思い出した。
物問いたげなAの視線に、カーンは首をすくめてこともなげに言った。
「遠隔からの接触が出来ない場合、ケーブルを狙うってのはあるんですよ」
「ではすぐに始めてください。念のため私も立ち会いましょう」
タナトスはそう言うとカーンと共に入り口へ向かった。
「すみません、Aさんは少佐の様子を見ていてください。
万一呼吸が止まるようならば人工呼吸装置やAED(自動体外式除細動器)がそこにあります」
Aはごくりと唾を飲み込むと、タナトスの指さす方向を見つめた。
AEDと大きな赤い字で書かれたケースが目に入った。
使い方は情報部での講習を受けたので知っている。
心肺停止後90秒が勝負だ。大丈夫。手順は覚えている。
その時、初めてAは自分が大切な人を亡くすかもしれないという事実に気付き、愕然とした。
情報部という特殊な環境にいる限り、ある程度の覚悟は出来ているつもりだ。
これが戦場ならば間違いなく冷静に対処できる。
しかし、この静けさの中、ただ眠っているとしか見えないこの男が、生命の危機にあるとは誰が考えられるのだろう?
Aは手が小刻みに震えるのを、必死で押さえつけようと自分の体に両手を回し、力を込めた。



「くそ!!」
ヒプノスは飛び起きるなり、自分につながれた電極やチューブをスタッフが止める間もなく引きちぎり、モニターに向かった。
「少佐!ああ…何処だ?」
ヒプノスを取り巻く複数のモニタが、滝のように流れる文字列を映し出す。
ものすごい勢いでキーボードを叩き続けるが、手がかりを見つけだすことが出来ない。
同時進行で行っていた、仮想世界の閉鎖作業も中止しなければ。
ヒプノスは振り向きもせずスタッフに指示を怒鳴る。
どこかの歪みに少佐は捕らわれているはずだ。見つけなければ。
今は少佐の体は無事だ。しかし意識を分離されたまま、いつまで持つのか分からない。
仮想世界で「死亡」したものは、どんなに手を尽くしても通常3日くらいで脳波も心肺も停止してしまう。
背中に冷たい汗が流れていく。こうなれば自分がもう一度ダイブするしかないのか?
しかし迷宮のようなデータの歪みを探すには、自らも捕らわれるリスクがある。
その時、目の隅に点滅光を捕らえた。
メール?内部ネットワーク専用のアカウントに来ているが、この場に自分がいるのだから、わざわざメールを送ってくるのは何故だ?
メッセージの内容を読んだヒプノスは、信じられぬ思いでモニタを見つめた。
しかしふと我に返りメッセージを打ち込む。
頼む。
もうお前にしか彼は助けられないんだ。

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